fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

Twitter(SNS)を活用していない理由

 クリニックに依っては同じ病状同士、あるいは患者全般での交流会を催して、現状の自己認識(回復状況)や苦労話などを共有しているところがあるそうです。私が通っているクリニックでは、そういったものは殆ど無いので実情は判らないのですが、もし有ったとしても、1〜2度出て、その後は出なかったんじゃないかと想像しています。

 同様に鬱と診断されて直ぐにFacebookTwitterのアカウントを開設し、同じ様な病気の人達をフォローし、またYoutubeでも幾つかですが鬱の患者さんのアップしたものを拝見しました。

 でも、今は?と言うとTwitterは、このブログへの誘導としてぐらいしか使っておらず、フォローしている方のTweetも見ることが殆どありません。Facebookはなおさらですね。その理由は「寧ろ気持ちが暗転する」からです。多分、私の鬱は他の方に比べて軽度だと思います。気が向けば遠出もするし、ほぼ毎日外出しています。妻の貢献もあって、前を向いて病気と仲良くしようと考えていますし、寒いのでサボっていますが朝の散歩は代わりに近くに借りたコワーキングスペースへ出かけることで補い、また時々ですが、昔、通っていたジムで教わった自重トレーニングで落ちつつある筋肉を少しでも残すようにしています。

 鬱と闘ってしまうと、多分、「いつ良くなるんだろう」「仕事に復帰できるのはいつだろう」と時計とカレンダーに追い込まれるような気がしているのでしょうが、私はかなり早い時期に「闘わずに共生しよう」と決めました。悪い友達と付き合っているようなものでしょうか。悪い友達だけに、その魔力に負けちゃえば、そのままダウンです。でも、自分が考える「王道」を踏み外さないように歩いていれば魔力が「悪い方向」なのか、それとも「王道の上」なのかの区別が付くような気がします。その時に役に経ってくれているのがイマジナリーペットの龍くん達です。元々宗教心の浅い私ですが、お稲荷様参りやお不動様の法要に伺うようになって徐々に自分の中に住む龍が増え、今では8頭です。その龍たちに「これで合ってる?」「もう少し頑張れそう?」と尋ねると正解を導き出してくれるような気がするのです。そして、更にこの龍たちを喜ばせたいと神社仏閣を参拝し、拙サイトのコンテンツを増やす事にも繋がってきます。

 しかし、一方でSNSで見る鬱や双極性の人達がコントリビュートしているコンテンツは、時に力強すぎていたり、逆に沈んだ内容が切々と綴られていて、鬱を敵として戦うべき対象にしなくてはならないような気がしてしまうのです。

 そう言えば…ちょっと思い出したことがあります。私のTwitterには本垢があって、日がな一日、何かを書いていたものです。2010年かな?から始めて、結構なご長寿アカウントです。バズったことも、パクられた事も、時には凍結されたこともあります。が、何となく続けています。が、その十数年の間に、時々、半年ぐらいTweetをしない時期が何度かありました。この現象(?)を自分で勝手に「ネット鬱」と呼んでいたのですが、別に炎上しようが何しようが関係なしにTweetしていた癖に、何故か急に「面倒くさいな」「書きたいことが纏まらんな」とかって思ってネットに触れない事がありました。

 鬱になってからは、このネット鬱と同様、本垢でのTweetは殆どしていません。一つの理由は、テレビも見ず、ネットニュースでも食指が動くような記事を見ない…、ネタは有っても誰かに対するネガティブな発信しかできない。そう思うからなんですね。

 そして鬱アカウント。これも同じで私が書いていることは重度の鬱や双極性・統合失調の方などから見たら屁ぐらいのものでしょうから、それほど役には立たないだろうし…、だからといって重い障害を抱えている方をお救いできるような言葉も見つけることすらできません。

 そんな思いから、ダラダラと、こうしたブログを書いて自己発信をして、少しでも「もしかしたら」と思うような方に早めに・確実に治療や改善を働きかけられたら。と思っている次第です。そんなこんなで、時々TwitterにDMが来ているようですが、殆ど見ることもないので、もしお気づきの事がありましたら、ブログ宛にコメントなりで連絡を頂ければと思うところです。