fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

カミングアウト…とデトックス(笑)

 先日、鬱について両親にカミングアウトしてきました。既に高齢者なので、あまり積極的に説明してショックを与えてもなぁ…と思い、気が引けていたのですが、事情もあって説明しておこう!となった訳です。

 説明資料を書いて(まるでプレゼン気分です)いると、妻にも言っていない、あるいは理解して欲しい事も出てくるので、そうなると別々に説明するよりも多少の重複はあっても、両親と妻を並べて説明することにしました。

 「鬱」という病名を聞いても、身近にいない両親にとってはピンと来るものが無いようだったので、発病前から急進期、そして現状までを時系列で説明します。

 「入院しなくて良いのか?」「どんな医者なんだ」「何が原因なんだ」と、まぁ色々質問もあって2時間ぐらいかけての説明は正直、しんどいものでした。が、胸の中で秘めていたものを開いた分、気はデトックスをして楽になったようです。

 まぁ、それで何が?と言う訳ではないのですが…、身体のデトックスの代表である「お通じ」に変化が(笑)。

 発病前を遡ると1-2週間は便秘するのも当たり前だったのです。そのため、クリニックで下剤やビオフェルミンを出してもらっています。それでも最近まで2-3日に一回が普通。「まぁ、そんなものかな」と言う感覚が急進期を過ぎてからの当たり前になっていました。が、ここのところほぼ毎日、なかなか大量のデトックスが行われています。その分、奥さんにはオナラの被害にも合わせる事も増えてしまい申し訳ないのです(ほんと、ごめんなさい)。が、しばしば聞く「腸は第二の脳」が表現されているんですかね…。数年、激しいストレスでマトモに働けなくなっていたのであろう腸が活動を再開してくれたような気がしています。そうなると、出た分、身体が軽くなった気がして、歩く事の億劫さが少し緩和されてきてもいます。

 無理に自分を追い込む必要はないのですが、便秘も一つのストレスのサイン。腸が動いてくれているのは良い印。と思って、奥さん許してくださいね。

久しぶりの更新と最近の出来事

 10月で秋が急速に深まっている中、季節の移ろいと共に私の身辺にも変化が訪れました。

 鬱の状況は徐々にですが、何かあっても落ち着いて対処できる場面が増えてきたように思えます。逆に言えば、財布やパスケースを落とすなど、まぁ平常時だったら余り起きなかった事が結構、起きちゃっています。パスケースの時には、その翌日の通院をすっかり忘れて探すこと…落とした日の立ち回り先やPASMOの紛失手続きなどに没頭してしまいました。が、どちらも、まぁ警察などに届けてくれる親切な方がいて被害(?)も最小限に抑えられました。

 ただ奥さんの立場になれば気が気じゃないですし、実際、お金が飛んでしまうんですから、大変です。

  申し訳ない。

 

 そしてもう一つは勤め先です。休職期間も満了し、退職となりました。なので現在は「無職」です。療養のための企業保険などの補助も相変わらず受けられますが、何かと大変です。

 ただ「大変だー」と言っていても始まらないし、それに伴って気が落ち込んでしまいます。と言うのは、私と鬱との共存関係としては鬱による乗っ取り成功になってしまいます。これは最悪。なので希望を持って、奥さんには申し訳ないのですが「無職」を楽しもう、夢を実現するために頑張ろう!と思っています。

 

 今後ともよろしくお願いします。

自己暗示と瞑想

 お久しぶりです。

最近、なんだか書くことが無いなぁ…。と思っていたのです。

言ってみれば、鬱くんは確実に心の中に住み着いているのですが、何かの拍子、例えば仕事のことを思い出したり、夢に見たりしたり…それと何の気無しに起きる悪さを除けば、それほど頻繁に顔を出してきませんし、顔を覗かせてくれば、頓服でも飲んで気を紛らわせたりしています。

 さて、その頓服と並んで、今や日常に組み込まれたようになっているのが、瞑想タイムです。いわゆるマインドフルネスとか、誘導瞑想なんていうのが多く、以前にもご紹介したことがあります。

 この瞑想の特徴…と言うか、瞑想の一般的なイメージは心を「空」にすることだと思うのですが、まぁ、頭の中を空っぽにするなんていうのは至難の業。ちょっとした油断で「あーどーしよー」とか「腹減ったな」とか、そんな気が頭の中を駆け巡ります。その点、誘導系の瞑想の場合、「深呼吸して」とか「○○を意識して」とかと言うガイドが入るので、雑念的なものが入ることが少なく、発病後、特に集中力がなくなっている私には、こちらの方が俄然、取り組みやすかったりします。

 そして、もう一つの特徴は「誘導」として、例えば自己肯定や引き寄せと言ったスピ系とも言えるのですが…まぁ、自己催眠的な効果があるのですね。Youtubeで見ていると「ちょっとねぇ」と思うような内容もあれば、高圧的な誘導だったり、あるいはどっかのCDをパクったようなものもありますが、幾つか見ていくと自分にあったチャンネルが見つかるんじゃないでしょうか。そして、例えば自己肯定ですが、簡単そうに見えて、実は自分が全くしていなかったこと…言ってみれば鬱へと追い込んでいった理由にも思えてきます。

 私はIT屋の端くれとして生きてきましたが、一方で欧米系の先進的な技術(真面目に言って日本では追いつけないレベル)の製品やサービスを見てきましたし、それを飯の種にしてきた時期が長くありました。その一方で日本のIT会社では、そんな事はほぼ評価に値しません。そのギャップの中で、自分に「環境に順応しろ」とムチを入れ続けて来ていたんですね。そして、例え仕事が順調に進んでいても、常に「更に前へ」と外からのムチが入る。言ってみれば、毎日が受験みたいなもんです。毎回、試験にパスしなければ、次に進めない。そんなプレッシャーの中で「自分は素晴らしい」なんて言い聞かせる時間があれば「もっと頑張れ」という方が早いわけです。

 ところが、この手の誘導瞑想は、全く逆のアプローチで自分の心を安らげてくれます。寧ろ、鬱になる前、メンタルが弱り始めている人にこそ有効な気すらします。

 頑張りたい時には「自分にはできる」、疲れた時には「休む」。そんな心に素直になれるメニューがYoutubeに沢山出ているので、心が疲れたとき、自分が頑張っちゃてるなと思ったときには、少し瞑想してみて、心に平和と自分への肯定をしてみては如何でしょうかね。

瞑想と鬱

 呼吸を整えることは副交感神経への良い刺激になります。鬱々としている時には、交感神経系を刺激してあげることも大切ですが、頓服を服用したりする状況では、気持ちの落ち着きがなくなったりしていることも多く、深呼吸や簡単な瞑想で呼吸への意識を高めて不安感の除去を図ったりしています。

 そんな中で、毎晩とはいかないのですが、なるべく20〜30分ほどベッドに横になってYoutubeにある誘導瞑想の動画を使っていたりします。「誘導瞑想」などで調べると非常に多くのチャンネルや動画が上がってきます。ただ、これは個人的趣味だと思うのですが、妙にスピリチュアルぽかったり、尖ったような声で誘導されると、それが気になって瞑想以前に集中力が保てません。これ、結構多いパターンです。そして、生憎、Google/Youtubeが賢くて、こういった動画を拾い見していると、以後のオススメに、そのチャンネルが上がってきやすくなる気がします。そうなると「興味なし」などでリストから消していかないと…。なんですよね。

 暇を見つけて、予め調べてチャンネル登録しておかないと、中々、お気に入りが見つからずに困り果てることも。

 そして「瞑想」とだけ検索すると、更に多くの動画が出てきます。そんな中で「誘導」を選んでいる理由は簡単です。意識の集中ができるからです(もちろん、前述のように、声質などが合わないものもたくさんありますけど)。

 音楽だけ聞いていても、寝落ち率が高まるばかりで、瞑想している感じがしないんですよね。誘導付きなら、呼吸の仕方や身体のどこに意識をもっていくのか等が案内されるので、イメージがしやすいのです。イメージができないと、ただ音楽を聞き流しているのと変わらない。少なくとも座って瞑想するタイプでは無い私には合わないんでしょうね。

歯がゆい日々

 鬱になると大変なのは、本人よりも家族だと思います。概ね、一日中、不機嫌そうな、あるいは無表情な患者を抱えて、先行きの不安も抱えて、自身のやり場のない焦燥感も抱えながら生活するのですから、大変です。

 それに対して患者…と言うより私にできることは「ありがとう」と「ごめんなさい」と言うことしかできません。本当は、色々説明をしながらこういった言葉を言えば言葉に力が入るのでしょうが、どうにもこうにも長いセンテンスで会話できません。だから、ひたすら「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返すことになります。

 そして、ごめんなさいの積み重ねがお互いのフラストレーションを高めることすらあるので、更にごめんなさいなのです。

 うちは家族が奥さんだけですから、奥さんに常々掛けている言葉は、この2つだけと言っても良いくらいの毎日です。それも、本当に申し訳ない事なのですが、どうにもこうにも、これ以外の言葉は中々思いつかず、自分に対する怒りが沸き起こったりもします。

 奥さんには申し訳ないのですが、こんな事、解ってもらえるかなぁ…。

頓服 再開です。

 体重増、糖尿との関係から減薬を勧めていくうちに、先週からどうにも辛い日が出始めました。

 減薬をしだしてから、土日は恒例だったファミレスにいる事が辛くなってはいたのです。が、その代わりにとタバコの吸えるお店で過ごす時間が増えていたのです。しかし、それも辛くなり始め、特段の事がなければ飲まなかなった頓服(ソラナックス)の服用が必要になりました。そして、コワーキングスペースで過ごす時間も徐々に辛くなって、やはり平日でも服用する事が出てきています。

 ただ、一日の中で何度も服用すると気分の➘➚➘➚が起こってしまい、こんな中でもある私なりの「平常心」を保ちづらくなってしまいます。そこで、なんとか一日一錠。これで抑え込んで、外出先から帰宅→昼寝。と言う新たなルーティーンが出来始めています。

 頓服を飲まないとどうなるかと言えば、かんたんに書けば「今やっていることと反対の事を心が求めてくる」ということになります。例えば、こうして座って書物をしていると無性に座っていることが嫌になり、横になったり、あるいは外の空気を吸いたくなったり、歩きたくなったり…。逆に歩いていれば、立ち止まることが増えたり、どこかで疲れてもいないのに座りたくなったりします。それを抑え込んでいると、今度は動悸が激しくなり、何もしていなくても、ぐったりと疲れてしまったりもするのです。

 不便です。

 ただ、減薬をしていないと基礎となる身体の健康がぶっ壊れますから、この不便さも少し楽しむ必要があるのかも知れませんね。

 

身体のバランス

  かなり前にも書きましたが、鬱の発症以来、バランス感覚が少しおかしくなっています。iPhoneを使っている人なら「ヘルスケア」で「歩行非対称性」として表示される値が、健常な頃には1%以内だったものが40%を軽く越える事が多かった、つまりフラフラしながら歩いている状況だったものです。

 現状は、ほぼ改善していますが、それでも起床時などは立っているだけでも身体が強く傾いて壁などに支えられる場面が起こります。そして普段の時間でも、例えば立った瞬間や片足でバランスを取るような場面になると、思い切りバランスを崩してコケそうになっていたりもします。

 それが昨日起こりました。ちょっと無駄話を挟みつつ…、もし参考になればと思い書いておきます。

 春もだいぶ深まって我が家のほったらかし睡蓮鉢のメダカたちも抱卵を始めました。こうなると、孵った子メダカ達を親から引き離す準備に入ります。そこで今は空き睡蓮鉢を子メダカ用に復活させる準備に入ります。こちらは、少しサイズが小さいので越冬に備えてメダカやミナミヌマエビ、そして貝類をメインに移し替えて以来、手つかずでした。いや、何年かほったらかしでヘドロ化した下土を捨てているので、殆ど土がはいっていない状況です。それを子メダカ用とは言え使えるように準備するには、再度、土や砂を入れて水草を育てられる状況にしないと水質悪化が早まってしまい、引き離して天敵になってしまう親メダカと引き離した子メダカが全滅する可能性が出てしまいます。

 そこで昨日、荒木田土と砂を買いにホームセンターへ向かいました。と言うか、本当は余りメンタルが良くなく、動悸も激しくなりかけていたので出先から帰宅しようかとも思ったのですが、どうも気持ちだけが先走って障害者手帳を活用してホームセンターへ向かっていた。という方が正しいような感じです。約30分、バスに揺られて最寄りのホームセンターに着くと道を渡らなければならないのですが、横断歩道がありません。「仕方ない、ここで渡るか」とガードレールを乗り越えようとしたところでバランスの悪さが露呈しました。なお、健常なら全く苦労なくできることなのです。(決してコンプラ的、道交法的に良い事ではないのですけどね)が、軽く脚を上げるとフラッと身体が後ろにスライドしたようになります。そこで気合を入れてもう一度、本気で脚をあげます。これで太ももまでは問題なくガードレールを越えたのですが、スネが上がりきりません。軽くぶつかってしまうのです。そこで勢いをつけてもう一度、脚をあげます。するとスネが「ガーン」とぶつかった上でガードレールを乗り越えられました。スネ。弁慶の泣き所とも言われる場所ですから、痛い痛い。それでも「まぁ打ち身だからね」と問題ない風に歩き始め、ホームセンターで所定のものを買って帰宅。

 奥さんはまだパートから戻っていなかったので、荷物を降ろし、着替えていた最中、それが判明しました。

 痛かったスネ。帰りのバスでも痛かったのですが…見事に擦り傷、流血しておりました。見るからに「そりゃ痛いわ」という感じで皮が少しめくれた感じで流血となっており、絆創膏を探すも見つからず、とりあえず傷口に当たらないよう着替えを済ませて乾きかけた傷口に風をあてながらカサブタ待ち。となりました。

 鬱の皆様。くれぐれも交通ルールは守りましょう。そして、気持ちと心、気分と妙なやる気のバランスも身体のバランスと同様に崩れやすいので注意しましょうね!