fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

腸活と気持ち

 昨日、最近、腸の動きが良いことをご報告しました。これ、鬱には大切な事だと思って引き続きですが、書いていこうと思います。

 以前は肉食!が中心の食生活で、元々辛いものが好きだったこともあって脂っこい刺激物を胃袋に収めていました。

 ところが発症前から刺激物が好みではない…と言うか、あまり求めない状況です。嫌いになった訳ではないのですが、食卓に七味などが並べられていても、ほぼ使わずにいます。

 胆嚢を切除した人は経験された事があると思いますが、刺激物や脂っこいものを摂るとトイレに駆け込むような状況が生まれます。これに慣れていたので、ストレス過剰で便秘が続くようになると、なるべく脂っこく辛みの強いものを食べるようにしていました。が、徐々に耐性ができた。と言うより、全く機能しなくなったような感じで、併せて野菜ジュースなどで食物繊維!を意識して摂取しても効果なし。と言うのが日常でした。

 こうなってくると常にお腹が張った状態で気分もよろしくなくなり、過剰なストレスが更に亢進していくような感じだったのでしょうね。

 一旦、このストレス状況が落ち着くと、少し元に戻ったりすることが繰り返され、自分の中で、このサイクルが自然になってしまいました。

 ところが発症前には、ストレス状況が落ち着いてもお腹の張りは治まらなくなってしまいました。(他にも色々な自覚症状がありましたが、今回は「お腹」をテーマに絞りますね)。

 奥さんも状況には気づいていたのか、夕食は野菜中心のメニューが並ぶようになりました。食欲も細くなっていたので、肉がなくても充分。と言うか、ただ必要性を感じて箸を進めて完食と言う状況に。

 発症後、薬の副作用もあって、逆に過食になったりもしましたが、お腹の張りが治まるのは3日〜1週間というサイクル。私も胆嚢がない人なので、この状況は自分としては慣れてしまっていたものの、やはり何処か不調感が残ります。特にこの1年ぐらいは毎日ヨーグルトなども食べて「腸活」にも勤しんでいたのですが、サイクルに変化はありません。

 ただ、これは、もしかしたら数年に亘る「不腸」な時期を過ごしてしまい、腸内細菌が非常に悪かったのかもです。その上、去年の春ぐらいからは復職に悩み、復職を諦め離職してからは、退職後の手続きに追われ、苦手な書類仕事も多くて今から思うと決してストレスフリーな状況ではなかったようです。

 それが、現在では「快腸」。この理由を自分なりに考えると、ビオフェルミンやヨーグルトで腸内環境が改善された事、そしてやっと昨日、残っていた確定拠出年金の手続きも終わって一段落。と言うのが影響しているのかと思います。

(確定申告…どしよ)

 こうして、快腸になってくると、鬱病様も少し動きを遠慮してくれるようです。ちょっと前まで「今日は○○と〇〇と〇〇をやろう」と3つぐらいの目標を立てていても、結果はゼロ、か一つ。という事で「仕方ないよね」と自分をなっとくさせていました。当然、奥さんに対する負荷も増えてしまうので申し訳ないのですが、しかし、それがやっと。そしてブログの更新が止まっていたのも、同じ理由です。とにかくお腹が張って気持ちが落ち着かず、ただ時間だけが過ぎていくのを觀ている。って感じ。

 今の快腸状態でも奥さんの負荷が減った訳ではないのですが、それでも、自分が「今日はブログを更新するぞ」と思えば、こうして書ける程度には戻ってこられたのは幸いなことだと思っています。

 両親へのカミングアウトも終え、これからは(確定申告もあるけど)基本は次の「人生」に向けて集中していくことになりそうです。

 「鬱病?俺の人生オワタ」と思った一昨年の6月から考えると「次の人生」と考えられるようになったのも良きかな。と。とは言え、先はまだまだ不透明。奥さんを楽にするためにも、自分の人生を上手くやりなおしていかないと。です。無理せずがんばります。

カミングアウト…とデトックス(笑)

 先日、鬱について両親にカミングアウトしてきました。既に高齢者なので、あまり積極的に説明してショックを与えてもなぁ…と思い、気が引けていたのですが、事情もあって説明しておこう!となった訳です。

 説明資料を書いて(まるでプレゼン気分です)いると、妻にも言っていない、あるいは理解して欲しい事も出てくるので、そうなると別々に説明するよりも多少の重複はあっても、両親と妻を並べて説明することにしました。

 「鬱」という病名を聞いても、身近にいない両親にとってはピンと来るものが無いようだったので、発病前から急進期、そして現状までを時系列で説明します。

 「入院しなくて良いのか?」「どんな医者なんだ」「何が原因なんだ」と、まぁ色々質問もあって2時間ぐらいかけての説明は正直、しんどいものでした。が、胸の中で秘めていたものを開いた分、気はデトックスをして楽になったようです。

 まぁ、それで何が?と言う訳ではないのですが…、身体のデトックスの代表である「お通じ」に変化が(笑)。

 発病前を遡ると1-2週間は便秘するのも当たり前だったのです。そのため、クリニックで下剤やビオフェルミンを出してもらっています。それでも最近まで2-3日に一回が普通。「まぁ、そんなものかな」と言う感覚が急進期を過ぎてからの当たり前になっていました。が、ここのところほぼ毎日、なかなか大量のデトックスが行われています。その分、奥さんにはオナラの被害にも合わせる事も増えてしまい申し訳ないのです(ほんと、ごめんなさい)。が、しばしば聞く「腸は第二の脳」が表現されているんですかね…。数年、激しいストレスでマトモに働けなくなっていたのであろう腸が活動を再開してくれたような気がしています。そうなると、出た分、身体が軽くなった気がして、歩く事の億劫さが少し緩和されてきてもいます。

 無理に自分を追い込む必要はないのですが、便秘も一つのストレスのサイン。腸が動いてくれているのは良い印。と思って、奥さん許してくださいね。

カミングアウト…とデトックス(笑)

 先日、鬱について両親にカミングアウトしてきました。既に高齢者なので、あまり積極的に説明してショックを与えてもなぁ…と思い、気が引けていたのですが、事情もあって説明しておこう!となった訳です。

 説明資料を書いて(まるでプレゼン気分です)いると、妻にも言っていない、あるいは理解して欲しい事も出てくるので、そうなると別々に説明するよりも多少の重複はあっても、両親と妻を並べて説明することにしました。

 「鬱」という病名を聞いても、身近にいない両親にとってはピンと来るものが無いようだったので、発病前から急進期、そして現状までを時系列で説明します。

 「入院しなくて良いのか?」「どんな医者なんだ」「何が原因なんだ」と、まぁ色々質問もあって2時間ぐらいかけての説明は正直、しんどいものでした。が、胸の中で秘めていたものを開いた分、気はデトックスをして楽になったようです。

 まぁ、それで何が?と言う訳ではないのですが…、身体のデトックスの代表である「お通じ」に変化が(笑)。

 発病前を遡ると1-2週間は便秘するのも当たり前だったのです。そのため、クリニックで下剤やビオフェルミンを出してもらっています。それでも最近まで2-3日に一回が普通。「まぁ、そんなものかな」と言う感覚が急進期を過ぎてからの当たり前になっていました。が、ここのところほぼ毎日、なかなか大量のデトックスが行われています。その分、奥さんにはオナラの被害にも合わせる事も増えてしまい申し訳ないのです(ほんと、ごめんなさい)。が、しばしば聞く「腸は第二の脳」が表現されているんですかね…。数年、激しいストレスでマトモに働けなくなっていたのであろう腸が活動を再開してくれたような気がしています。そうなると、出た分、身体が軽くなった気がして、歩く事の億劫さが少し緩和されてきてもいます。

 無理に自分を追い込む必要はないのですが、便秘も一つのストレスのサイン。腸が動いてくれているのは良い印。と思って、奥さん許してくださいね。

久しぶりの更新と最近の出来事

 10月で秋が急速に深まっている中、季節の移ろいと共に私の身辺にも変化が訪れました。

 鬱の状況は徐々にですが、何かあっても落ち着いて対処できる場面が増えてきたように思えます。逆に言えば、財布やパスケースを落とすなど、まぁ平常時だったら余り起きなかった事が結構、起きちゃっています。パスケースの時には、その翌日の通院をすっかり忘れて探すこと…落とした日の立ち回り先やPASMOの紛失手続きなどに没頭してしまいました。が、どちらも、まぁ警察などに届けてくれる親切な方がいて被害(?)も最小限に抑えられました。

 ただ奥さんの立場になれば気が気じゃないですし、実際、お金が飛んでしまうんですから、大変です。

  申し訳ない。

 

 そしてもう一つは勤め先です。休職期間も満了し、退職となりました。なので現在は「無職」です。療養のための企業保険などの補助も相変わらず受けられますが、何かと大変です。

 ただ「大変だー」と言っていても始まらないし、それに伴って気が落ち込んでしまいます。と言うのは、私と鬱との共存関係としては鬱による乗っ取り成功になってしまいます。これは最悪。なので希望を持って、奥さんには申し訳ないのですが「無職」を楽しもう、夢を実現するために頑張ろう!と思っています。

 

 今後ともよろしくお願いします。

自己暗示と瞑想

 お久しぶりです。

最近、なんだか書くことが無いなぁ…。と思っていたのです。

言ってみれば、鬱くんは確実に心の中に住み着いているのですが、何かの拍子、例えば仕事のことを思い出したり、夢に見たりしたり…それと何の気無しに起きる悪さを除けば、それほど頻繁に顔を出してきませんし、顔を覗かせてくれば、頓服でも飲んで気を紛らわせたりしています。

 さて、その頓服と並んで、今や日常に組み込まれたようになっているのが、瞑想タイムです。いわゆるマインドフルネスとか、誘導瞑想なんていうのが多く、以前にもご紹介したことがあります。

 この瞑想の特徴…と言うか、瞑想の一般的なイメージは心を「空」にすることだと思うのですが、まぁ、頭の中を空っぽにするなんていうのは至難の業。ちょっとした油断で「あーどーしよー」とか「腹減ったな」とか、そんな気が頭の中を駆け巡ります。その点、誘導系の瞑想の場合、「深呼吸して」とか「○○を意識して」とかと言うガイドが入るので、雑念的なものが入ることが少なく、発病後、特に集中力がなくなっている私には、こちらの方が俄然、取り組みやすかったりします。

 そして、もう一つの特徴は「誘導」として、例えば自己肯定や引き寄せと言ったスピ系とも言えるのですが…まぁ、自己催眠的な効果があるのですね。Youtubeで見ていると「ちょっとねぇ」と思うような内容もあれば、高圧的な誘導だったり、あるいはどっかのCDをパクったようなものもありますが、幾つか見ていくと自分にあったチャンネルが見つかるんじゃないでしょうか。そして、例えば自己肯定ですが、簡単そうに見えて、実は自分が全くしていなかったこと…言ってみれば鬱へと追い込んでいった理由にも思えてきます。

 私はIT屋の端くれとして生きてきましたが、一方で欧米系の先進的な技術(真面目に言って日本では追いつけないレベル)の製品やサービスを見てきましたし、それを飯の種にしてきた時期が長くありました。その一方で日本のIT会社では、そんな事はほぼ評価に値しません。そのギャップの中で、自分に「環境に順応しろ」とムチを入れ続けて来ていたんですね。そして、例え仕事が順調に進んでいても、常に「更に前へ」と外からのムチが入る。言ってみれば、毎日が受験みたいなもんです。毎回、試験にパスしなければ、次に進めない。そんなプレッシャーの中で「自分は素晴らしい」なんて言い聞かせる時間があれば「もっと頑張れ」という方が早いわけです。

 ところが、この手の誘導瞑想は、全く逆のアプローチで自分の心を安らげてくれます。寧ろ、鬱になる前、メンタルが弱り始めている人にこそ有効な気すらします。

 頑張りたい時には「自分にはできる」、疲れた時には「休む」。そんな心に素直になれるメニューがYoutubeに沢山出ているので、心が疲れたとき、自分が頑張っちゃてるなと思ったときには、少し瞑想してみて、心に平和と自分への肯定をしてみては如何でしょうかね。

瞑想と鬱

 呼吸を整えることは副交感神経への良い刺激になります。鬱々としている時には、交感神経系を刺激してあげることも大切ですが、頓服を服用したりする状況では、気持ちの落ち着きがなくなったりしていることも多く、深呼吸や簡単な瞑想で呼吸への意識を高めて不安感の除去を図ったりしています。

 そんな中で、毎晩とはいかないのですが、なるべく20〜30分ほどベッドに横になってYoutubeにある誘導瞑想の動画を使っていたりします。「誘導瞑想」などで調べると非常に多くのチャンネルや動画が上がってきます。ただ、これは個人的趣味だと思うのですが、妙にスピリチュアルぽかったり、尖ったような声で誘導されると、それが気になって瞑想以前に集中力が保てません。これ、結構多いパターンです。そして、生憎、Google/Youtubeが賢くて、こういった動画を拾い見していると、以後のオススメに、そのチャンネルが上がってきやすくなる気がします。そうなると「興味なし」などでリストから消していかないと…。なんですよね。

 暇を見つけて、予め調べてチャンネル登録しておかないと、中々、お気に入りが見つからずに困り果てることも。

 そして「瞑想」とだけ検索すると、更に多くの動画が出てきます。そんな中で「誘導」を選んでいる理由は簡単です。意識の集中ができるからです(もちろん、前述のように、声質などが合わないものもたくさんありますけど)。

 音楽だけ聞いていても、寝落ち率が高まるばかりで、瞑想している感じがしないんですよね。誘導付きなら、呼吸の仕方や身体のどこに意識をもっていくのか等が案内されるので、イメージがしやすいのです。イメージができないと、ただ音楽を聞き流しているのと変わらない。少なくとも座って瞑想するタイプでは無い私には合わないんでしょうね。

歯がゆい日々

 鬱になると大変なのは、本人よりも家族だと思います。概ね、一日中、不機嫌そうな、あるいは無表情な患者を抱えて、先行きの不安も抱えて、自身のやり場のない焦燥感も抱えながら生活するのですから、大変です。

 それに対して患者…と言うより私にできることは「ありがとう」と「ごめんなさい」と言うことしかできません。本当は、色々説明をしながらこういった言葉を言えば言葉に力が入るのでしょうが、どうにもこうにも長いセンテンスで会話できません。だから、ひたすら「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返すことになります。

 そして、ごめんなさいの積み重ねがお互いのフラストレーションを高めることすらあるので、更にごめんなさいなのです。

 うちは家族が奥さんだけですから、奥さんに常々掛けている言葉は、この2つだけと言っても良いくらいの毎日です。それも、本当に申し訳ない事なのですが、どうにもこうにも、これ以外の言葉は中々思いつかず、自分に対する怒りが沸き起こったりもします。

 奥さんには申し訳ないのですが、こんな事、解ってもらえるかなぁ…。