fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

行動認知を変えるのって大変です。

 最近も書いたかもですが、現在の治療は投薬と行動認知療法の二本立てです。投薬は、初期には徐々に容量を増やして安定するところを見つけながら、最近は頓服も飲まずに一日を終えられるようになりました。一方、行動認知療法は医師の他、カウンセラーとの会話を通じて進めているのですが、これは中々大変ですね。結局、主に会話するのは妻なわけですが、妻だって人の子、苛立ちやフラストレーションが溜まって私にはキツく聞こえる場面も有るわけです。

 以前なら、こちらも応戦していたのですが、今は妻もパートとは言え生活費を稼ぎ出していますし、それ以上に慣れずに厳しい環境で仕事をしているんですから致し方ないと感じるのです。ただ私も人の子です、その捌け口が必要になるんでしょう、自分を責め始める事があります。妻には申し訳ないとしか言えず、自分の不甲斐なさを嘆く訳ですね。

 ただ、そうですね。こうして書いていると言うのも一つの捌け口であり、不甲斐ない自分を一定、曝け出す事で、寧ろ鬱を楽しんでいるのかもしれません。

 楽しむと言うと変に思えるかも知れないのですが、実は楽しんでいる、面白がっている自分がいます。

 簡単に言えば、自分2.0と言うか新自分。みたいな「変容」を客観的にというと綺麗すぎますね。そう「他人事」として眺めている自分がいるんです。以前の自分は、へっぽこエンジニア、へっぽこコンサルタントとして若かりし頃に出会ったスーパーエンジニアを思い描き「こんな時、あの人ならどうするだろう」「あ、この場面、あの人はこうやってたな」とイメージをして仕事をしていたのです。が、現在のように仕事をお休みしていると、そんな人達は参考になりません。そこで…いつ頃からでしょうか、自分を外から見る自分がいるようになりました(別にスピ系の話ではなく)。

 「あー、前ならこうしてたよな」「以前だったら、こう反応するな」とか、今の自分の行動と以前の行動とを見比べているんですね。ただ行動認知療法のように「こう考えるほうが良い」なんていう段階にはいないので、ただただ自分が変わった、鬱病・あるいはお休みを頂いている中で変わりつつある自分を確認する作業みたいなものです。

 多分、頑固で口やかましく、プライドが高いくせに何もできない自分。外人から見ると自分の力を誇ることもなく、まるでジュニアのポジションを望んでいるようだと言われた自分自身の本質は変わらないとは思うのです。が、確実に変質しつつある部分は目に付くのです。そこら辺は以前にも色々と気づくままに書いてきました。そしてもう一つが「記憶」です。自分で言うのも変ですが、記憶力は比較的良い方で、ノートに簡単にメモを残しておけば、3時間や4時間という長い打ち合わせでも1時間もあれば議事録(対話形式)で落とし込み、ほぼ修正・加筆なしで社内も顧客もOKが出る内容にできました。それは、その日にあった打ち合わせの単位で頭の中に戸棚を作り、その戸棚にキーワードや主要なポイント毎に引出しができて、適時・適切な引出しから言葉を取り出すだけなのです。そのインデックスがノートのメモであって、本当に必要な事は頭の引出しに押し込んでいるんですね。そうすると(多分、どこの打ち合わせでも起きることですが)会話の主要点が「A」と言うお題であっても突如「B」に飛んで、また「A」に戻っても議事録はAの会話を中心に書き進め、付属としてBについて書けば、誰がどの課題にポジティブ・ネガティブ、補完・疑問を持っているかを理路整然とした議論の中で提示されたかが判るのです。良く「ポイントと結論、宿題だけを書くのが議事録」と言う人もいますが、それでは実は恐ろしい「実はキーマンがネガティブなんだよね」と言う心象を議事録から汲み取ることができないので、誰がどのようなコンテキストで喋ったかを記録する意味でも会話の内容をポイント毎に書くほうが有意だと思うのです。と、思わぬところで行数を使ってしまいました。

 と、この「記憶」と言うのが実は鬱になると死ぬほどジャマになってきます。何かをすると「あいつが」とか「あの時に」と言う後悔と言うか悲しみと言うか…ダウン系の記憶と印象が攻め寄ってくるんですね。そこで急進期には記憶の引出しを全部ロックダウンするようにして、できるだけ「元に戻ろう」とは思わなくするようにしました。

 簡単に言えば「元に戻ろう」としても、同じ様なストレスが掛かり、更に以前よりも低いパフォーマンスでしか動けないのが自分で判っているからです。だから、こうしてブログなどを書きながら、今の自分に出来ることを書いたほうが「マシ」だと思うようになったのです。

 と言うのも、これも「記憶」に関わる話ですが、以前、米系企業に努めていて、ある製品の日本側の担当になっていた事があります。最初の頃は、その製品のエキスパートのマネージャーが米側のカウンターだったのですが、こちらが製品を理解するに従って質問の内容が細かくなり、直接エンジニアと会話した方が良い。という事で、彼の部下の中国人エンジニアがカウンターになりました。が、暫くすると、そのエンジニアが愚痴をメールしてくるようになり、ある日、辞めてしまいます。その間にも、こちらは他のエンジニアとやり取りの場が出来るようになって、直接的な影響は殆どなかったのですが、余りに急な事で少々驚いた記憶があります。

 それから数ヶ月後、マネージャー氏と数人のエンジニアが来日し、あるお客様への導入作業の準備に入りました。日本側でも私の他にPM氏や他のコンサルタントやSEさんも加わり、中々に堂々たる陣容で仕事を進めていくことに。ただ、マネージャー氏や他のエンジニアとコンタクトしていたのが私だけだった事もあって、来日後も殆どの行動にアテンドすることになりました。当然、夜、呑みに行くことも有るわけです。そこで、予てからの疑問だった中国人エンジニアについて質問を投げかけました。「Lって人、辞めたの?」です。マネージャーの答えは「WHO?」です。「だから、Lって中国人のエンジニアだよ」と重ねて聴いても「I DON'T KNOW」でした。つまり何が起きていたかは知る由もありませんが、マネージャー氏と中国人エンジニアの間では何らかの諍い事があり、決して良い印象を持っていないことを解かれよ!という事です。その証拠に他にも辞めていった人間の話については「あー、やつなら○○社で頑張ってる。時々だけどゴルフを一緒に楽しんでるよ」と嬉しそうに話すんですから。

 この彼のエピソードを自分にも適用しようかな。と思っているのです。ただ嫌なことは忘れ、良いことだけを思い出すってな器用な事ができる私ではありません。ロックダウンした記憶の引出しを開けば良いことと一緒に嫌なことも紐付いてくる。そこで、今は新しい記憶の引出しを作り、時々、古い記憶の引出しを覗きに行って、良い記憶、役に立つ記憶だけを新しい引出しに入れようと画策しています。

 今、こうしてアメリカのマネージャー氏の話を書いているプロジェクトもとても辛く、嫌なことも沢山あったのですが、マネージャー氏の行動だけを洗剤で洗って新しい引出しにしまい込むところです。そうすれば嫌な記憶とは「はい、さようなら」です。

 「そんなに都合よく行くかよ!」と言われそうですが、実際、皆さんも「記憶の美化」をして生活していませんか?「昔はよかった」「あのプロジェクトは辛かったけどやりがいがあった」とかね。私は若い頃、余りに辛くて「記憶の美化」をできるだけしないように生きてきました。同時に「後悔することもやめよう」とも心がけてはいました。そのお陰で、今、とても新鮮な気持ちで「記憶の美化」を進めているんです。言い換えれば、世間一般の人が半ば本能的にやっていることを、今、意図的にやっているんです。と言えば、「都合よくできるはずがない」なんて思えないんじゃないでしょうか。

 だから、できるだけ

LET'S ENJOY 鬱。で生きていきます。だって私と嫁の人生なんだから。