fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

鬱と共存する訳

 先週、今年最初の診察を受けた事は既に書いたと思います。その診察を終える時、バッグを拾い上げコートを着ながら「今年もお願いします」と言って「本当は、もう治療が終わっている。一月ぐらいで復帰できると思ってたんですけどね😁」と口をついて出てしまいました。すると「その程度なら、多分、ここには来てないよね😁」と医師からの返事。

 前々から書いているように「鬱は心の風邪」と言うのに強い抵抗感を持っているのもこれなんですよね。既に通院から半年以上経って、まだ投薬の世話にならないと通常の生活もままならない。そんな風邪ってありますか?😁。この表現は「だから、貴方も私も罹る可能性がある」と続けないといけない言葉なんですね。間違っても「だから、気楽にしてね」は逆の意味、つまり「大したことないでしょ」と受け取ってしまう可能性、本人の自覚する大変さ、苦労を「大げさな」と言われかねない怖さを感じてしまうんです。

 そして「寛解」です。風邪に「寛解」は使わないですよね。「もう大丈夫。全快、復活です」ですよね。でも鬱に限らず多くの精神疾患は「寛解」と表現します。癌や白血病などと同じですね。どんなに元気な状態に戻っても、いつまた再発する可能性があるとも判らない。だから寛解なんですよね。

 それでも鬱に負けていては寛解どころか自滅することになります。もし病院に行くこと、服薬や治療を躊躇っている人がいれば強く言いたい三点があります

  • 「精神科に行くことは恥ずかしいことじゃない」
  • 「投薬を受けるにしても、徐々に容量が上がるのだから、いきなり副作用でおかしなことが起こるわけじゃない」
  • 「今のダウンした状況は寝ていても治らない」

先日の大阪の放火殺人事件で、精神科に対する偏見や変な先入観を受けた人がいるかも知れませんが、少なくとも私が通っているクリニックでは、外見や行動が異様な人はゼロとはいかないものの、殆ど見ていません。診察や診断書でクレームや文句を言っている人も殆ど見ていません。私自身も処方の対象日数が間違っていたので、確認(修正依頼)をした程度で、トラブルらしいトラブルは無に等しいのです。だから、大阪の事件を見て「精神科は恐ろしいところだ」なんて思っているなら、まずは候補になる精神科の入っているビルを見てみれば良いのでは?ペンシルビルなのか、避難経路が確保できそうか。など、間違ったふりして精神科の入っているフロアまで入ってみたって良いと思いますよ、高層ビルなら。

 私の場合、記憶を手繰れば、恐らく10年程度続いた「不安」と「過労」が、あるタイミングで引き金を引かれて「抑うつ」と言う結論に導かれたのだと思います。中間で、もし不調があれば、こんなに長期に休んだりする必要は無かったかもしれませんし、「Let's Enjoy りーまんらいふ」できていたかもです。

 でも、逆にこの10年、ココロの中に蟠っていた「このままリーマンライフを続けていて大丈夫か?」と言う疑問が鬱によって解消…答えが出たような気がしています。そう、鬱が決してネガティブな材料だけではないんです。

 今は一生懸命、早足であるいても4km/h。歩数にして1.5万歩も歩けばヘトヘトです。でも、その分、道に咲く花や工事現場の人達、清掃をしている人や散歩を楽しむ犬、嫌がる犬などに気づくことも増えました。気持ちとしてはサッチモの「What a wonderful world」みたいな感じで小さな事、僅かな事にも感謝できる自分が育ちつつあるように思うんです。その観点で言えば、鬱様様です。

 自由業の方だと判りませんが、リーマンなら団体保険や傷病手当などの支給があり、また地方公共団体や国、交通機関などの助成や支援が受けられます。治療を怖がっていると、こうした「利用できるもの」の権利を放棄することになります。いきなり収入が途絶え、路頭に迷う、あるいは誰かに寄生するように生きるよりも、こうした助成を受けて少しでも自立できるようにと。だから私は、鬱と仲良く共生しようと思っています。