fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

鬱を発症してから思い返していること

 うーん。このお題だと、物凄くたくさんの事があるのですが、思いつく言葉がこれぐらいなのでお許しを。

 自分の精神状態に疑問を持って厚労省などの公的機関の相談先やクリニックに行き始めたことは既に書いたかと思います。

 その時、自覚症状を言わなければならないのですが、必ず伝えていたのが「面倒くさいんです」という言葉でした。

 実際、話を聞く、話す、何かをする、記憶を呼び覚ますことなど、なんでもかんでも面倒だったのです。だから「面倒くさいんです」という事を伝えたのですね。

 ところが、私自身「面倒くさい」と妻を含めて人に言ったことがなかったはずなのです。と言うのも「面倒くさい」と言うのは簡単なのですが、人に求められたことを為す時に「面倒くさい」というのは余りにも失礼極まりないと考えているのです。別の言い方で「労多くして功少なし」などもありますが、こう言った言い換えには「理屈」があるのです。例えば「あのお客さんに熱心にアプローチしてごらんよ」と言って「面倒くさい」と言われては、仕事がしたくないのね。と受け止める・受け止められると考えるのですが、「苦労する割に、メリットが少ないですよね」と言われれば、何らかの見積もりや見込み、経験があって話されていることがわかりますし、深堀りすれば解決策が見つかることもあります。が、「面倒くさい」では、そんなフックすらない「最低のワード」だと考えているんです。

 ところが、いざ鬱になってみるとすべてが面倒なのです。一つの理由は、複数の要求が出てくると普段なら優先順位を考えて手を付けるはずですが、要求内容を理解することに時間が掛かる上に、優先順位を考えようにも整理をする思考に行き着けないのです。目の前にゴミが落ちていて、もう片方にペンが落ちている。ゴミはゴミ箱に投げ込めば良いですし、ペンは机に持ち上げれば良い。順番なんて関係ないはずです。が、それができない。身体を動かすのが億劫だ。ゴミがあるけど、身体を動かしたくない。ペンもあるしな。そうなると二度身体を動かさないと駄目だな。(ここからは、更に普段は出てこない考えですが)なんで、こんなに身体が重いんだろう。億劫なんだな。普段ならできるのにな…。と、自問自答している間に、どんどん時間が過ぎていきます。

 他人から見れば「何もしてないよね」という時間です。が、自分の中では、激しい脳内活動をしているので、意外なほど疲れていたりするのです。そこで、薬を飲めば良いのです。が、最初の頃は「薬に頼りたくないな」という思いもあり、また、今なら「先にゴミを片付けて、そしてペンを持ち上げないと」と言う非常に単純な先入先出の思考が勝ってしまい、なかなか薬を飲むモチベーションが湧いてこないのですね。

 この現象が面倒なのが、他人とのコミュニケーションです。医師と話している分には、相手はプロなので一つ一つ順番に話を進めてくれるので良いのですが、妻や友人と会話すると、話題がポンポンと飛ぶと頭の中の整理がつかずに困ってしまうのです。いや、苦しくなってくるのですね。

 これは、以前とかなり変わってしまったことですね。

 それともう一つ、話すことです。話すことは2つの苦労があることに気づきました。一つは自然に整理して文を作って話しているわけです。ところが、今は整理をすることが辛いので、話したくなくなっています。もう一つは、声を出すという「力作業」です。普通に声を張ることは意外に疲れますよね。今は自然に(?)力を入れられないので、囁くような声しか出せていないのです。そうすると、相手は不思議そうに耳に手を当ててみたりしてくれてしまうので、話さずに済むなら…と思ってしまうのです。

 こうして考えると、以前の状況と比較すると、かなり違う事になってしまっているようです。