fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

鬱 のイメージと実際(個人の感想です)

 鬱というと「自殺願望があるんだ」という想像に直結してしまいがちかもしれません。発症する以前の私自身が、そうでした。

 しかし、そんな事はありません。仕事をやっても普段なら考えられないミスが続き、記憶も曖昧になりがちな上に、とるべきメモすらままならなくなって相談したところで鬱が発覚した感じです。この間に例えば電車に飛び込もうとか、枝ぶりの良い枝を探したことは、ほとんどないのです。テレビを見て笑うこともあれば、Twitterで盛んに情報発信してもいました。しかし、その間にも鬱は進行していたわけです。

 そして今でも、ほぼ毎日、外出をします。行きたいと思うところがあれば一人で電車やバスで行くことができます。一日の充足感も感じることが出来ます。長期の傷病休暇を使っている身分ですが、そんな日々を過ごしています。

 「それはズル休みだろ」「制度の悪用だ」と言われるかもしれません。しかし、確実に今、仕事が出来ない状況にあることは書いておきたいと思います。

 まず、視覚の処理です。今、PCを使ってBlogを書いています。傍らのタブではYoutubeAmazonの動画が流れています。テレビを点ければオリンピックもやっています。しかし、動画として見ることは殆どありません。思考が追いつかないのです。カット割りが細かったりすればするほど、目が追いつきません。

 次が段取りの整理です。例えば「今日はブログでアレを書こう」と考えている時に、別の事をやらなければならないと思い出した時に、自分の段取りが狂ってしまって何から手をつければ良いかが分からなくなります。普段なら適当に時間配分をして2−3個の仕事を片付けられていましたが、今はスピードが出ないので、段取りの狂いはどちらかをやらない、できない可能性を生むのです。やりたいことがあって、そのための準備をしていて、できないと分かった時には、抗うつ剤が必要になることもあります。

 3つ目が思考と記憶の整理です。例えばクイズ番組を見ていたとします。普段なら、自分の記憶の引き出しから回答を見つけたり、ヒントなどから推論を巡らせたりするのがクイズの楽しいところです。ところが、今は記憶が入っている引き出し…私の場合、漢方薬屋や江戸時代の古民具の小さな引き出しで作られた棚のような構成を考えているのですが、その小さな引き出しのどこに適切な答えが入っているかがわからないのです。そして、間違って仕事の引き出しを開くと、急に動悸が早まったりしてしまうこともあってクイズ番組は全く見なくなってしまいました。これが同じような事で起きている現象が妻との会話にもあります「○○って、何かした人でしょ」と言われると以前なら、ちょっと自慢げに「ん、▲を作った人」とか答えていたのです。が、今は「わからない」「しらない」「おぼえていない」と記憶の引き出しを探ることを拒絶している自分がいます。

 

 じゃ、Youtubeなどで何を聞いて(見て)るの?ヒーリングとか?と言われそうですね。確かに時々、鳥の声や波の音を流すこともありますが、はっきり言ってレアです。政治外交関係のチャネルも見ますし、昔から好きなオカルト関係を聞いていることも少なくありません。そしてバラエティ、特にぼる塾や宮下草薙などは外で聞きながらニヤニヤしながら歩いていたりします。「へぇ鬱でも笑うんだ」と言われそうですが、鬱だからと言って感情が死んでいるわけではないのです。

 ただ音楽は昔から好きなヘビメタなどを聞くとハイテンションすぎて疲れてしまうので、少し抑制のきいたバラードやジャズなどが増えているかもしれませんね。

 特に最近は薬の効果もあって面倒くさい作業にも手がでるようになってきているので、うつ病に先入観の強い人ほど私が鬱だとは分からないかもしれません。でも、先程書いたように、寧ろ普通に出来ていたことができなくなって困っている一面があるのです。そして仕事の大半が普通にできることを前提としているので、なおさら困っているのが実態です。