fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

馬鹿なことかもしれないけれど。自己肯定感は大事だよ

 時々、別ブログや拙サイトで書く「双方向参拝」(造語)について、今日は書いておこうかと思います。

 きっかけは、とある神社に参拝した時、急にイヤホンの音が止まったことです。Bluetooth接続なので、接続が切れるときには「Disconnected」と音声が流れるのですが、それもなく、唐突に音楽が止まったんですよねぇ。で、もしかして、と思って社殿に向かって意識を集中してみると、イマジネーションなんですが神様から励ましの言葉を貰えた気がしたのです。普通はお願い事か、お礼をこちらから申し上げることが参拝で、神様の言葉はおみくじで聞く(読む)ものですが、小さな神社ではおみくじもありませんし、このイメージって、結構、いけるんじゃね?神様と双方向で会話しているようなもんだよね。と思って「双方向参拝」って言ってます。

 これを始めたのが6月ぐらいでしょうか。ルーティーン化した散歩では3つ(時々、端折る事もあるのでバリエーションはもっと多いんですけど😁)、それぞれに神社があり、その中の一つには神社の他に2つのお寺が入ります。

 それだけでも結構なお言葉(イメージ)が頂けているのですが、その他にも神社仏閣行脚にも出かけるので、中々の量になりました。

 (内容は、こちらで公開しています)

 本当は自分の胸の中にしまっておけば良いようなものですし、こちらからの問いかけやお願い事などを書いていないので、読んでも他の人からは理解不能かもしれません。でも、今朝、ふと思ったのです。「ん、無駄じゃないかもね」と。

 と言うのも、神様にしても仏様にしても、決して叱咤や無理は仰らないのですね(あくまでイメージです)。これは、自分が自己肯定しているからかもね。と。普段…鬱になる前の私は常に自己評価を低く見積もるようにしていました。その方が生きるのに楽というか、例えば業績評価で上司などと話す時でも、引き下げられるより引き上げられた方が嬉しいですから。だから「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という心境で、常に自分を低く低く表現していたのですね。つまりは、今となっては…自己否定に繋がることだったのかもしれません。

 以前、ある外国人と仕事をし、今でも時々ですがメールのやりとりをしている人がいます。彼と付き合い始めて暫くした頃ですね、私のスタイルに怒りをぶつけてきました「君の書いている内容は、まるでジュニアクラスの事しかできないふりをしているようだ!」って。場所は違えど同じ小さなIT会社にいて、一人しか日本語と日本の文化を理解している技術畑の要員が、そんな臆病な事でどうするんだ!と言う怒りだったのです。彼は普段からのやりとりで、私がそれなりにプロダクトの事も、プロダクトを使ったソリューションの事も理解して、そして不足があれば必要な開発担当やマーケティング担当の役員やシニアマネージャーとコンタクトをしている事、そして、その内容がそれなりに的を得た内容だと理解していた訳です。ところが、言葉の端々に日本人らしい謙虚な表現を使う、つまり臆病風が吹きまくっていると言うわけです。

 ただ、このスタイル、外国人と付き合う上で「日本人の『できない』は嘘が多いんだ」と言う説明をつける事にして守ってきています。

 でも、一方で心の中では自信もあったし、自己否定をしているつもりはありませんでした。参拝でもそうです、「これができません」「こんな悪いことをしているのです」みたいな事をつけてお願いをしても、よく言われる「引き寄せの法則」では逆効果なのですよね。「私はこれがしたい」「私はこうなりたい」とお願いをすると必ず「応援してるよ」「障害は取り除くよ」と励ましてくれるイメージが湧いてきます。

 常に謙虚であることは大切な事です。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。神様・仏様の前では堂々と、自分がやりたいこと、めざしていること、直したいことを前向きにおねがいしてみませんか?自分を肯定できれば、きっと、優しい言葉が返ってきますから。