fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

鬱の世界から少し戻ってきました

 久しぶりにドカンと落ち込んだ鬱の世界です。気分転換にと歩いた時速は1.8km、1度ですが、後ろから来た自転車に「チッ」と舌打ちをされるくらい、ちょっとふらつき気味にゆっくりと歩きました。

 ふくらはぎには鋼鉄の重りが巻かれたようになり、両腕には大リーグボール養成ギブスが、そしてバッグには5kgの鉄アレイが入っている散歩(あくまで気持ちがです)したが、それなりに気持ちも落ち着き、涼みがてら入ったファミレスで最近気に入っているヨガの呼吸(瞑想)の動画を見て、今、これが書けるところにまで来ました。

 ファミレスに入った瞬間は、オーダー入力すら面倒な状況。これを考えると薬効は大きいのだなと再認識しているところです。

 そして、なんとなく今日の落ち込みの理由を考えていました。それは2つです。一つは夜見た夢です。睡眠誘導剤を飲んでいたこともあり、内容は全く覚えていないのですが、職場関係の夢だったと言う記憶があります。この夢を見て直後に目が覚め、時計を見たら午前4時、ここから30分は寝付けずにいました。が、夢の中身は本当に覚えていないのです。

 そしてもう一つは昨日です。朝の散歩の後、午後になってから駅2つ離れた神社までお参りに行き、帰ってきたのですが、少し頑張りすぎたのかもしれないな。と思っています。

 いずれにしても、少し忘れかけていた全身の重さ、面倒臭さ、そして思考の乱れは中々にインパクトがありました。逆に言えば、この状況を約半年、それとは気づかずに過ごしていた自分が強いと言うべきか、バカと言うべきか…。

 私自身、実は年老いて離れて暮らしている両親には話していませんが、しばしば知人などに自分が鬱である事は話しています。特に知人は仕事関係のアドバイスを求めてくることがあるので、ご遠慮させて頂くためにも必要な情報の開示だと思ったからです。

 逆に言えば、鬱であることは恥ずかしいことだとは思っていませんし、寧ろ、よくここで押し止められたものだとも思うのです。後ひと押し、あるいはふた押しされていれば、より深刻な状況に陥っていた気がしてならないのです。

 心療内科や精神科への通院には正直に言って抵抗がありました。それでも行って良かったというのが実感です。

 本人が単なる疲れだと思っていても、実は鬱が進行している可能性があります。ちょっと心に引っかかることがあれば、様々なサイトで調べてみることをお勧めしますし、私自身、妻に「心療内科に行かないと不味そうだ」と言うまで妻も判らなかったそうです。私のようなガサツな人間でも鬱になるのですし、人に妙な気遣いをして平静を装ってしまうのです。僅かな変化、例えば物忘れやケアレスミスが増えたり、生返事が増えたり、本人が何かやっている時に話しかけると妙に怒りっぽくなったり、頼み事をやけに面倒臭がってみたりすれば、少し心配して良いのかもしれません。こうして書くと、全く日常でも良くある光景でしかないのですが、これが一気に見られるようなら、心配してみた方が良いかもしれません。そして、できるだけ本人に厚労省都道府県の相談窓口にコンタクトを取らせるように仕向けて上げてほしいのです。治療には本人の意志がとても大切です。今の私のように前向きな事を書いた翌日に、ドカンと落とし穴に落ち込むことが治療中にも起きます。鬱が発覚する以前は、落とし穴に入りっぱなしなのに気づいていなくて、「疲れが溜まっているだけだ」「もう少しの辛抱だ」とやり過ごそうとしてしまうことがあるのですね。そして周囲が気づくくらいに行動などのバランスが崩れてしまうのではないかと。

 余談ですが、先程、ファミレスで瞑想の動画を見たと書きました。呼吸法を中心としたヨガの動画なのですが、今にして鬱の傾向に入った頃、自分の吐息がとても暑く感じていました。マスクをしているから余計に実感していたのですが、まるで激辛のカレーでも食べたように口の中から吐き出された息が暑いのです。時々、聞く言葉ですが「なんか内臓から疲れてるのかもね」と言う状況かと考えていましたし、今までも内臓から疲れていたであろう時期は何度も経験していたので、今度も乗り切れると思っていたのです。しかし、今回は無理でした。

 どうぞ「今まで何度も修羅場はくぐり抜けて来たんだから」と思い込まないでください。それが慢心になって内蔵ではなく心を壊すことにもなるのです。どうぞ、自分を大切にしてください。それが家族や周囲の人をも大切にすることなのですから。

 

 なんだか、落ち込みついでに説教臭い自虐話になって恐縮です。しかし、これは本心です。ご無理だけはしないようにしてください。