fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

御朱印と二人のおばあちゃん

 先日は江東区を、昨日は品川区・港区を巡ってきました。まだ、参拝記をまとめられない状況なのですが、印象に残った二人のおばあちゃんのお話を書いておきたいと思います。

 お二人の共通点は御朱印を頂いた神社とお寺の大奥様だと思うのです。そして「死」と言うものを話題に挙げて頂いたところです。

 お一人は八十台、もうお一方は九十一歳とご高齢なので「おばあちゃん」とさせて頂きます。

 さて、本題に入る前に…。8月は旧暦のお盆、そして終戦の日があり、その前に広島・長崎の原爆忌があるので何となくですが「鎮魂」のムードが高まるように思います。が、私には3月も同様に鎮魂を意識しなくとも何となく心の底に湧き上がるような気がします。もちろん11日の東日本大震災のことがありますが、その前日、10日が特に下町を廻っていると目に付くのが「東京大空襲」です。サイトで神社仏閣を廻り、そしてサイトのページを作るために由緒などを調べていると「戦災で」と言う文言に行き着くことが途轍もなく多いのです。私の高齢の母親も幼少期には本所に住んでいましたが、疎開をしていて無事、その両親も奇跡的に無事に生き残ることができました。

 八十台のおばあちゃんは、大島稲荷神社の大奥様で、先代宮司から聞かされた大島付近の話として、境内の目の前を流れる小名木川を埋め尽くした遺体の数々…。まるでクジラを思わせるほどだと密集し巨大化した遺体の集合体。火の海から逃れるために春まだ浅い小名木川に飛び込んで亡くなった方々のお話を伺うと、空襲、無差別攻撃の恐ろしさを実感することは出来なくても生々しく理解することが出来ます。今は穏やかに流れる小名木川を見れば見るほど逃げ惑う人たちの叫び声が聞こえてくるような気がしました。

 そして九十一歳のおばあちゃん、高輪の道住寺の大奥様。やはり戦中の話も出たのですが、最近、御朱印を書いた男性の話になりました。「女の人は旦那さんが亡くなっても生きていけるの。でもね、男性はダメなのよね」と。その男性も奥様を亡くされて絶望感に苛まれていたようです。そして「富士山の、あの…自殺場があるでしょ」と恐らくは樹海へ五度、自らの命を落とすべく向かったのだそうです。しかし、暗い夜の樹海を奥へと進むと「あなたは未だ死ぬには早いの」と亡くなった奥様の声が聞こえてきたそうです。そして、その声を聞くと我に返り、当て所もなく歩くと自然と通りに出て、そこがバス停。バスがある時間だったのかどうかは判りませんが、通りにさえ出られれば生還することは無理のないことだったのでしょう。それを五回も繰り返したというのですから、生きることへの執着が殆ど無くなっていたとしか思えません。

 方や生きるために努力しながら命を落とした方々、そして命を捨てようとして思い留まった方…。対象的な話のようですが、改めて命の大切さというのを実感し、そして心の拠り所としての神社やお寺というものの存在というものを考えさせられたのでした。

 命を捨てることは、時として簡単なのでしょう。ただ生きていることは、それだけで意味があると思っています。鬱を患っている分、余計に、そう思う毎日です。