fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

損保は謝罪文で手打ち。でも長いものには巻かれたくない

 損保とのトラブルは、先方からの謝罪文提示で手打ちにしました。争っていても、こちらの気が滅入るだけで消耗するのもこちらだけ。それなら、と言うことで引き下がります。

 さて、心待ちにしているのは障害者手帳なのですが、役所から聞いていた2ヶ月と言うのは、かなり怪しいかもとの情報が…。まぁ、お楽しみは先に取っておきましょう。

 と、書きながら、ふと思い出したことがあります。

 

「ウクライナ問題から学ぶべき教訓、弱い人は強い人に喧嘩を売るな」中国の薛剣・大阪総領事がツイート

当該のツィートは、既に削除されたようですが、大阪総領事が言う教訓

弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚かな行いをしてはいけない。仮に強い人が後ろに立って応援すると約束してくれてもだ

と言うのは、まるでマッドマックスや北斗の拳の世界観をお持ちのようにしか思えません。私にとっては、損保会社や役所と戦うな。と言うものでしょうね。

 まぁ、うつに悩まされる一個人が出来ることには限界があります。ただ、そんな弱者でも全うに生きられるように整備された法があり、行政機構があり、そして法治、民主主義と言うのが、長年、メンテされながら"一般的な"世界の潮流になってきたのだと思います。別に好き好んで戦う訳ではなく、必要な時には様々な形で不服を申し立て、法や契約、慣習などに従って不服が「正」なのか、「否」なのかを客観的に判断されるのが私達の「尺度」になっています。

 以前も書いた占いの事で、占い師のDr.シンさんから言われたのが「自分の尺度だけで見ない」という言葉でした。改めて思い起こすと、とても難しく深い言葉だな。と思うのです。長いこと生きていると、知らぬ間に自分固有の尺度ができ、また世間の常識というものに巻き取られている自分がいます。それは、海外に出ると実感出来ることですが、日本人としての尺度でモノをみていると、見誤ることがとても多いのです。逆に外国人のアテンドをしていると、カフェで席取りのために荷物を置いて注文の列に並ぶなど、彼らからすると怖くて仕方のないことを私達は平気でしています。それだけ安全で、かつ他人の目というものがあるという信頼感もあるのでしょう。

 しかし、一方で上記の総領事のようにマッドマックス的な世界観の中で生きている人が地球の上に同じように生きています。盗まれる方が悪い、殴られる方が悪い。と言う感じですね。そうなると、弱者であることは、ある意味で不正義になるのです。恐ろしいですよね。

 日本で生まれたことだけで儲けもの。とも言われますが、それを改めて思い起こさせてくれた駐日総領事の「教訓」でした。そして、大きいから・強いから正義だとは限らない。できるだけの事を頑張ろう。と考えさせても貰えました。笑。