fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

「やる気」と「実行」

 健常の皆さんでも「やる気はあるけど、どうも乗ってこない」って言う日や時がありませんか?私が罹患する前には、良くあることでした。逆に「やる気はないけど、期限もあるからアドレナリン出しまくってやり切る!」なんてこともありましたね。

 昔ですが後輩から「怒ってるときの方が、仕事早くありません?」と言われたことがあります。実際「こんな期日で提案書なんて出来るかよ!」とか「プレゼンできるような案件先の情報ぐらい持っておけよ!」なんてブツブツ言いながら、無茶な日数で提案書を書き上げ、直前まで修正しながらプレゼンをやったりなんて事が当たり前にありました。

 逆に「これやらなきゃなぁ」と思いつつ、別に体調も悪くないのに全然、ページが進まないこともタマには(😁)ありましたね。

 今、実際には後者「やる気はあるけど、どうにも進まない」という事が罹患以降、顕著に増えた気がします。前にも書いた「鬱だと何事も面倒くさくなる」というのとは別で、別に気持ちの中に面倒臭さやウザったさは無いのにキーボードを叩くのを躊躇うような感じです。

 まぁ、今は「期限までに」と言うのが他者依存、医師からの診断書や会社の判断、役所の審査や事務処理などに依存する事が多くて、手元の作業が煽られるような事は殆どないのですから、前者のように「無茶な期限で」と言うストレスやアドレナリンぶちまけな状況には当たり前の事として起こらないわけですが。

 だから、コワーキングスペースへ向かうまで「今日は、ブログを○○のネタで書くぞ!」とか、「サイトの更新を○○まで終わらせるぞ!」と思っても、その半分ぐらいが出来れば良い方です。実際、医師に「集中力とか続く?」と聞かれても「圧縮すると2-3時間が良いところですかね」と答えている状況で安定していますね(これを安定と呼ぶなら)。

 集中力が無いままに物を書くとどうなるか!?その答えが、今の状況です。乱筆乱文、誤字脱字。もうどうにでも成れぇ!ってな感じで書いているわけです。仕事の資料なら、ブラウザのタブをいっぱい開いて、関連情報をタブ移動で見られるようにすることで準備をし、書き始めていました。多分、そこそこ他の人が書くよりも、提案書なら真面目なものができていたと思います(他人の提案書を見た上での感想です)。今は?と言えば、自分の頭の中にある情報や経験、実践が主な題材ですから、ネット環境で言えば上げる側、アップロードができれば問題の無い状況です。とは言え、時々は調べてるんですよ!😁。でも、こんな状態の私で良い、安定している。と自分とは折り合いを付けている感じです。医師にも「100点満点で50点取れれば『良くやったな』と自分に言っている」と話しました。「まぁ、それで頓服も飲まずに済んでるなら、徐々に点数が上がれば良いよね」と言う話で完結している状態です。100点満点と言っても、多分、仕事をしている時の、罹患前の自分に比べれば50点程度のものでしょう。でも、膝を壊したサッカー選手が怪我をする前と同じタッチでパスやシュートを出来るもんじゃないように、私のような輩でもフルのパフォーマンスを今の状態で求めるのは間違っているような気がしています。それを「怠け心」「怠け癖」と言うのは間違っています。

 今でもですが、自分でも気づかない僅かな動揺があると動機が激しくなって「えっ、なんで…。あ、あれか」と言うような事があったり、先程来書いているように「やる気はあるのに書けない」という事が少なくないのです。他の人から見たら「遅い」「低品質」と言われるようなレベルでも、急進期に比べれば遥かに改善していると思うのです。そして、この「安定」に安住はするつもりも無いのです。多分、以前のようなタッチでパスやシュートを打てる自分には戻れないと思いますし、正直、戻ろうと思っていません。別の生き残る智慧を増やして、少し手は遅くても、少し品質が低くても、自分が精一杯やった結果で判断されるようになりたいと…漠然とした書き方ですが…そう思っています。

 鬱の治療や情報のページを見ると「復職」という言葉が目につきます。鬱の相談や情報収集をし始めた時に「自殺」と言う言葉が溢れかえっていたのと相似形に思えるのですが、私にとっては急進期でも自殺願望が無かったように、復職が最終ゴールではありません。勤め先でもし復職を受け入れられなくても良いような「活路」を見出したい。と言うのが私の目標です。なぁんて青臭い事を書いていますが、クソほど真面目に、そう思うのです。これは罹患前から「あの上司に生殺与奪権を握られたくない」と思っていた性根がさせる業(ごう)なのかもしれません。しかし、せっかく貰ったチャンス。大手を振ってお休みをさせて貰っているので(迷惑を書けている妻などには申し訳ないのですが)、そのチャンスを活かさない手は無いと思うのです。

 だからやる気はあっても何もできない時間を薄紙を剥ぐように、少しずつ減らしていければなぁと思っています。