fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

自分が鬱だと言える相手、言えない相手

 最近では、初対面の人やお店で「私、鬱をやってしまって」と言う…というより宣言してしまうことが増えました。元々がせっかちな正確で、他人に急かされる前に小銭とマイバッグを用意してレジに並び、PASMOを片手にして改札に向かって歩くと言う性格だったのですが、今は何をするにも自分にイライラするようなトロトロと小銭を探し、改札の前でPASMOを探すのに苦労をする状態が多いのです。そこで急かされるより前に「ごめんなさい。鬱なもんですから、急な動きができなくて」という感じの機会が増えたって感じでしょうか。

 そう、発症前の自分と比べると、何をするにもトロ臭いんです私。でも、以前の自分に戻るよりも2.0、3.0化した方が余程楽だし、鬱とも仲良くできると思うんですね。

 ただ、これが実の親となると、まだ言えていません。また長年、お世話になった方にも伝えられていません。高齢の親が過剰に心配するようなら、余計に話がややこしくなりますし、お世話になった方から伝言ゲームで変に伝わる可能性(が凄い高い人なので)を考えると、時候の挨拶程度に抑えておくべきかな。と考えています。

 ただ、これは自分とも深く深く話し合った結果なんですが「鬱は恥ずかしくない」という事です。何かと言うと「アレは見てくれは立派だが、心が弱いからな」と蔑むような風潮があります。そういう人から見たら鬱になる人間は心が弱い典型でしょう。でも、違うんですよねぇ。F1のエンジンだって性能の100%を超える使い方をすれば壊れます。壊れやすく作っているのではなく、壊れるほどに性能いっぱいいっぱいに使うからF1ではエンジントラブルが起きるんです。自分もF1とは言いませんが、原チャリ程度のエンジンを目一杯で使い倒してきました。「地頭(じあたま)が良いだの」「経験がある」だのと煽てられ、「お前にしか解らないから」、時には「お前が情報を開示してこなかったから」(←これは、完全に暴言なんですけどね)と脅されるようにしてエンジンが火を吹くまで回していなければならなかったわけです。しかもスリックタイヤを履きながら雨のダートコースを走るが如く、自分が苦手だと公言して憚らない業務に「今は会社も大変だから」「それ以外に仕事がないんだから」と言われて最終的に、走り出し早々にスリップしてドクターストップ(😁)。同じ様にエンジンを更かし続け、時にはハードブレーキングで止められ、あちこちのヤジにもめげずに何年も何十年も走り続けて来た自分だから鬱と言う形で落ち着いたんだと。少し自分の好きなことに時間を取れと言われているような気がしているのです。

 だから恥ずかしくないんです。多分、他の抑うつの患者さんも似たりよったりなんじゃないでしょうか。人より弱いんじゃない、人より負荷がかかり過ぎたんだよ。と、もし「あいつは心が弱いから」と言われたら言い返して良いんじゃないですか?ね。

 私、そうするつもりだし😁