fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

私がうつ病になった訳(たぶん、かなり後半の事)

 今年6月、精神科に行って鬱と言う診断が出ました。このきっかけはこのblogの最初の頃に書いているので、参照をしてもらえればと思います。ただ、企業名など個別特定可能な事柄はできるだけボカして書きますので、隔靴掻痒の感を持たれるかも知れませんが、お許しください。(私もサラリーマンの端くれなので)

 では、何故、鬱になったのか、その事を今更ですが振り返って書いていきたいと思います。

 もしかしたら、「もしかして」「私が」「パートナーが」「部下が」「同僚が」と鬱の初期症状に気づくキッカケになるかもしれないので。そして、鬱は「心の風邪」と言えるほど軽いものではなく「気持ちが弱いから」と言う「気の持ちよう」でどうにかなるものでは無い事もご理解を頂ければと思っています。

 

 ことの起こりは一昨年に遡ります。これまでのキャリアや私の目標も踏まえて貰い、あるベンチャー企業とジョイントしてクラウドのサービス開発と営業先開発に入ります。サービス開発の手と頭になるのはベンチャー側、その手と頭に対してマーケットの要求を伝え案件化させるのが私と私の所属側と言う立て付けです。

 当初、案件化をするまでには相応の時間が掛かると考えていたのですが、元々私が知っている業界、事業先に絞り込んでいた事もあって、一社(A社としますね)は検討中(既に他社へのRFI提示後)だが、そこに割り込む形で、もう一社(B社としますね)は複数の対象部門のうち中核となる部門が検討を開始すると言う事になりました。当然、ここまでに数回のプレゼンや質疑応答を行い、ベンチャーも含めて訴求した機能、そして拡充しなければならない機能の洗い出しも行いました。特にA社はRFIが速攻で飛んできましたから、昼夜問わず、RFIに対してベンチャーと弊社というか私とで「実装済み」「開発可能」「開発には検討を要する」として分類をし、概ね全てが「実装済み」と「開発可能」と言うことで「提供機能はあるか?」等の質問に「○」で回答を返していました。B社は、この傍らで説明会や現場マネージャー等ともリモートや文書でやり取りを行い、大筋でA社と同様の機能で充足可能と言うラインに落ち着けました。ここまでは順調です(私以外は、定時内で本件の作業は終わっていたはず)。

 しかし残念ながらA社は実績不足を理由に見送り、B社に一旦、絞って営業活動を続けることになります。が、ベンチャーがここから途端に動きがおかしくなります。まずメールに対する営業のリプライが遅れ始め、質問に対する回答も意味不明か中身も見ずにコピペした文が目立つようになりました。

 それでも案件は進みます。B社からプレゼンと既存部分のデモを要求されます。ここでベンチャーから「デモを作る費用をください」と来ました。「えっ…。先に言ってよ」と言うことなのですが、作り手が動かないなら仕方ない、上司も頭に血を上らせながら予算を確保、なんとか当日朝にデモが完成して事なきを得ます。が、この時点で「こりゃダメだな」と言う私の中の野生の勘が動き始めます。

 誤解を招く表現かも知れませんが、ある人から聞いた話で「鍵の出張サービスってあるでしょ。で鍵を落としたりしてしまった人が焦りながらサイトを調べて『5,000円で最安!』とか思って呼ぶでしょ。でもね、そのサイトの価格って『〜』とか『基本料金』とか書いてあるのよ。だから、担当者が『この鍵は特殊なので〜』とか言って1万とか2万とか掛かっちゃうの。これが、結構多いんだってさ」と。

 なにやら、その類の商売と似た感じの空気を感じたのです。そこで「こりゃ何かしら、イベントがあると金の無心をされますよ」と上司に告げます。そして「それで物が完成形に近づけば良いですが、あのやり方だとデモ用のスペシャルを作ってるだけで実用化するには、また最初から修正をしないと無理だと思いますね」とも言いました。上司からの反応は「仕方ないな。色々プレッシャーを掛けてみるよ」というもので、正直”玉虫色”で、とりあえず先に進む事に。

 更に不幸が襲いかかります。先程書いたように、この案件、B社のとある部門向けにクラウドSaaS)提案をしていました。ただ最初から大規模運用になると何が起こるか判りません。そのためにも、出来るだけ案件は抑え込んで起きたいところです。が、この部門の部門長が離任されることになり、同時に案件は全社案件へと展開します。ベンチャーも上司も喜んでいましたね。私以外、皆。全社案件となると、要求水準が自ずと高くなります。そしてスケジュールの柔軟性もなくなってしまうのが必定。しかも今までは競合先なしだったのに、当然、別部門からは別部門で検討していた製品やサービスが登場してきます。それぞれに性質・性格の違う製品・サービスでも事業会社であるB社としては「美味しいところ取り」を狙うようになってきます。折角、抑え込んでいた要件も膨らみ始めてしまいます。しかも、ベンチャーの手は全く動いていません。当初から「2021.3にカットオーバー」と伝えられていたのに、この間、およそ3ヶ月何もしていないのです。お手上げです。折衝役である上司は「案件が決まれば、即、動くから問題ない」と言われたのですが、A社で目論んでいた「開発可能」な機能を考えると、案件確定からの開発期間を算定した「3ヶ月」で何とかなるものではありません。「これ、ギブです」と私。でも上司はデモで予算を使った手前もあり止められません。ここまでで、私はベンチャーとの打ち合わせがいつでも出来るよう、その企業の最寄りのカフェでリモートワークをする日々。毎朝、担当の営業や技術マネージャーに「時間が取れればいつでも行くから」と電話したのですが梨の礫(😁)。そして昨年の10月、正式にB社からRFPが提出されてきました。そのタイミングで、久しぶりに体調を崩した私は何もできずベンチャーが書く回答を待つ事に。そして一週間、体調も回復してベンチャーからの回答を見て愕然としました。提案にもなっていないし、そもそも提供して欲しい機能一覧の殆どが空白か✗。プレゼンで「できますよ」と言っていた事も含めて「✗」です。システム概念図は箱が3つ並んでいるだけ…。ファイルを開いて多分、10分も掛からずに上司に「回答の引き伸ばしを最低1週間お願いします」と申し入れました。野生の勘は当たっていた訳です。ベンチャーは「金を貰っていないのだから何もしない」「営業ができると言ったかもしれないが、それは個人的推察で会社の回答ではない」です。

 THE ENDです。これが、確実にトリガーでしたね。

 上司が案件を止められない状況を理解して、私の付き合いのあった会社などに当たって提案に即した形をどうにか作れないかと、またも土日返上。ただ、これは「ババ抜きのババ」になりかねない話です。それだけにババを引かせないよう、最新の注意を払って代替参画してくれる企業を探し、一方で上司がベンチャーを退場させる旨、B社に申し入れするための文書の素案造りをしたり…。

 そうこうするうちに、脇の下や腰回りには常時蕁麻疹が出始めます。夜も寝るとベンチャーの連中と打ち合わせている悪夢、そして、そこから寝付けなくなったまま朝と言うショートスリーパー状態。2〜3週間の便秘と底知れない膨満感。

 結果として付け焼き刃のソリューションはB社に見破られ、破断。上司も「似たような事があれば、お前が全社を説得するんだからな」と(😁)。

 これで頭蓋骨に銃弾が打ち込まれました。

 そんなこんなで事後処理、そして別件での案件探しなどをしているところで「火を吹きそうなプロジェクトがあるから手伝え」と。まぁ一般に言うPMO業務ですね。私の凄い苦手なやつです。私、段取りを作るのは上手いのです。そして、その段取りに従って動く、あるいは上に書いたような野生の勘でBプランを作るのも、結構得意なんですね。でも、他人が作った段取りで「結構、手作業でさ数字いじってるところもあるから、適宜、情報は連携するから数字の整理してガントチャートと報告書に落とし込んでくれる?」と言う感じのやつは、本当に苦手。理由は、「手作業」です。大抵、この手作業は元になるエクセルなどで個人別に管理している台帳から数字を引き込んで算出した結果に「微調整」を加えて計画値や報告値に近づける作業です。平たく言えば「改竄」でさーね。

 多分、プロジェクト側としては改竄なんて意識は全く無く「そういう物」として扱っているのでしょうが、1+1+2が4ではなく3になっていたり、その論拠がなかったり、それでいて報告書にPMが記載した数値には既に「3」と書き込まれている。「な、なんで?」となる訳です。これで銃弾は脳幹部に達しました。一日、エクセルを眺めても、過去資料を攫っても1+1+2=3となる論理は存在しません。が、いつの頃からか1+1=2が1+1+1=2.5、1+1+2=3と転じているのです。銃弾が突き刺さった私の脳は、まるでC級SF映画に出てくるロボットみたいに「ワタシニハリカイデキ…マ……セン」という状態に。このPMO支援はたしか3週間ぐらいしかできませんでしたが、お通じはほぼ無しの便秘。矢鱈と喫煙を欲し、そして食欲が落ち始め、手と脇は多汗の極地。更に脇と腰の蕁麻疹も再発。夜も殆ど眠れません。

 そして、精神科です。

 精神科でドクターから「鬱だね」と言われた時は正直、ホッとしました。と言うのも、秋にある全社のストレスチェックまで待って、その結果をもって休職をとも考えていたのですが、自分の中ではこのタイムラインで自分が堪えきれるのか、それとも壊れるのかが判らずに悩んでいたからと言うのもあります。また「今は、とにかくゆっくり休むしか無いよ」と言う妙にサクッとしたドクターの口ぶりで「休めるんだな」と言うのもありました。逆に言えば、このように「抑うつ」と言うと「=自殺」と決め込んだようなサイトや支援制度があるのですが、私には自殺と言う選択肢はなく、気持ちのかなりのところで「俺みたいな軽い適応障害ちっくなのは、仮病みたいに言われるんだろな」とか考えていたのです。でも、現実に6月の初診から今日まで、会社、休んでます。自分で勝手に適応障害だとか、サボりたいだけだと決め込むほど、状況は悪化しているはずです。なので

・不眠や浅い眠りが続く

・休日などの「日」「週」単位で不規則な生活リズムに陥っている

・睡眠、排便、食事など「時」「日」単位で不規則な生活リズムに陥っている

・アレルゲンを摂っていないのにストレス性と思われる蕁麻疹や皮膚の変容が見られる

・人の話を聞いたつもりが、全く覚えていない

などの状況があれば、できるだけ会社などが提供している厚生情報から心療内科や精神科への道筋を想像しておいた方が良いです。

 そして、医者に行けば、その日から症状が軽減する。と言うインフルエンザや怪我のようなものとは違い、恐らく初診日から以降、暫く(私は2ヶ月ぐらい)は急進期とか言う更に「ダウン」する日々が続きます。私の場合、

  1. テレビ大好き→興味なし(見る気力無し)
  2. 読書好き→興味なし
  3. ご飯大好き→興味なし(軽く食べれば満腹)
  4. 外出大好き→医者が言うから出かける
  5. 入浴大好き→超面倒くさい
  6. ゲーム大好き→超面倒くさい
  7. 歩くの大好き→身体が重くて、すぐ疲れるし
  8. 記憶力に自信あり→記憶を手繰ると嫌なことを思い出すから、記憶は捨てる
  9. 一度に2、3のながら作業OK→1つの事に集中したら、他には何もできない

と大きく変わります。とにかく面倒くささと、抑うつという劣等感、そして妻に要らない心配や苦労を掛けているという罪悪感とで仕事をしていた時以上に潰れる期間があるのです。そして、上で赤くした1、5、8、9は今でも継続中ですし、読書も時間がとにかく掛かります。でも、急進期の頃よりは大分、楽にはなりました。何より、200mも歩けば膝に手をついていた頃に比べれば、今は万全とは言わないまでも、1万歩ぐらいなら休憩をいれつつ歩くこともできます。時速も2km/hがやっとだったのに、4km/h以上は出るようになりました。

 鬱が幸いであり不幸なのは、外見からでは判断できないことじゃないかと思います。ゆっくり歩いていると、後ろから来た自転車から「ジャマ!」と言われた事もありますし、ボォーっとして時間が過ぎてしまうこと、過ごすこともあります。他人からはサボってる、呆けっとしていると思われるかもですが、「鬱なんだもん!しょうがねぇじゃん!」と言いたくなることも多いのです。でも、相手は私が鬱病だなんてしらないですからね。だから、最近は、例えば買い物をして財布から小銭を出すのに慌てながらオブオブしてしまうと(かつてなら、レジに並ぶ前に小銭は用意していたのに…)「ごめんなさい、鬱なので慌てるとどうしょうもなくなるから」とお断りして、ゆっくりでも確実に小銭入れを確認するようにしています。相手には「鬱だから?!(゚Д゚)ハァ?」なんでしょうが、でもこっちも一所懸命さがしてるんだからというのを伝えるために、このセリフを言うように心がけてます。だって鬱なんだもん、しょうがないよね!