fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

御朱印と二人のおばあちゃん

 先日は江東区を、昨日は品川区・港区を巡ってきました。まだ、参拝記をまとめられない状況なのですが、印象に残った二人のおばあちゃんのお話を書いておきたいと思います。

 お二人の共通点は御朱印を頂いた神社とお寺の大奥様だと思うのです。そして「死」と言うものを話題に挙げて頂いたところです。

 お一人は八十台、もうお一方は九十一歳とご高齢なので「おばあちゃん」とさせて頂きます。

 さて、本題に入る前に…。8月は旧暦のお盆、そして終戦の日があり、その前に広島・長崎の原爆忌があるので何となくですが「鎮魂」のムードが高まるように思います。が、私には3月も同様に鎮魂を意識しなくとも何となく心の底に湧き上がるような気がします。もちろん11日の東日本大震災のことがありますが、その前日、10日が特に下町を廻っていると目に付くのが「東京大空襲」です。サイトで神社仏閣を廻り、そしてサイトのページを作るために由緒などを調べていると「戦災で」と言う文言に行き着くことが途轍もなく多いのです。私の高齢の母親も幼少期には本所に住んでいましたが、疎開をしていて無事、その両親も奇跡的に無事に生き残ることができました。

 八十台のおばあちゃんは、大島稲荷神社の大奥様で、先代宮司から聞かされた大島付近の話として、境内の目の前を流れる小名木川を埋め尽くした遺体の数々…。まるでクジラを思わせるほどだと密集し巨大化した遺体の集合体。火の海から逃れるために春まだ浅い小名木川に飛び込んで亡くなった方々のお話を伺うと、空襲、無差別攻撃の恐ろしさを実感することは出来なくても生々しく理解することが出来ます。今は穏やかに流れる小名木川を見れば見るほど逃げ惑う人たちの叫び声が聞こえてくるような気がしました。

 そして九十一歳のおばあちゃん、高輪の道住寺の大奥様。やはり戦中の話も出たのですが、最近、御朱印を書いた男性の話になりました。「女の人は旦那さんが亡くなっても生きていけるの。でもね、男性はダメなのよね」と。その男性も奥様を亡くされて絶望感に苛まれていたようです。そして「富士山の、あの…自殺場があるでしょ」と恐らくは樹海へ五度、自らの命を落とすべく向かったのだそうです。しかし、暗い夜の樹海を奥へと進むと「あなたは未だ死ぬには早いの」と亡くなった奥様の声が聞こえてきたそうです。そして、その声を聞くと我に返り、当て所もなく歩くと自然と通りに出て、そこがバス停。バスがある時間だったのかどうかは判りませんが、通りにさえ出られれば生還することは無理のないことだったのでしょう。それを五回も繰り返したというのですから、生きることへの執着が殆ど無くなっていたとしか思えません。

 方や生きるために努力しながら命を落とした方々、そして命を捨てようとして思い留まった方…。対象的な話のようですが、改めて命の大切さというのを実感し、そして心の拠り所としての神社やお寺というものの存在というものを考えさせられたのでした。

 命を捨てることは、時として簡単なのでしょう。ただ生きていることは、それだけで意味があると思っています。鬱を患っている分、余計に、そう思う毎日です。

損保は謝罪文で手打ち。でも長いものには巻かれたくない

 損保とのトラブルは、先方からの謝罪文提示で手打ちにしました。争っていても、こちらの気が滅入るだけで消耗するのもこちらだけ。それなら、と言うことで引き下がります。

 さて、心待ちにしているのは障害者手帳なのですが、役所から聞いていた2ヶ月と言うのは、かなり怪しいかもとの情報が…。まぁ、お楽しみは先に取っておきましょう。

 と、書きながら、ふと思い出したことがあります。

 

「ウクライナ問題から学ぶべき教訓、弱い人は強い人に喧嘩を売るな」中国の薛剣・大阪総領事がツイート

当該のツィートは、既に削除されたようですが、大阪総領事が言う教訓

弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚かな行いをしてはいけない。仮に強い人が後ろに立って応援すると約束してくれてもだ

と言うのは、まるでマッドマックスや北斗の拳の世界観をお持ちのようにしか思えません。私にとっては、損保会社や役所と戦うな。と言うものでしょうね。

 まぁ、うつに悩まされる一個人が出来ることには限界があります。ただ、そんな弱者でも全うに生きられるように整備された法があり、行政機構があり、そして法治、民主主義と言うのが、長年、メンテされながら"一般的な"世界の潮流になってきたのだと思います。別に好き好んで戦う訳ではなく、必要な時には様々な形で不服を申し立て、法や契約、慣習などに従って不服が「正」なのか、「否」なのかを客観的に判断されるのが私達の「尺度」になっています。

 以前も書いた占いの事で、占い師のDr.シンさんから言われたのが「自分の尺度だけで見ない」という言葉でした。改めて思い起こすと、とても難しく深い言葉だな。と思うのです。長いこと生きていると、知らぬ間に自分固有の尺度ができ、また世間の常識というものに巻き取られている自分がいます。それは、海外に出ると実感出来ることですが、日本人としての尺度でモノをみていると、見誤ることがとても多いのです。逆に外国人のアテンドをしていると、カフェで席取りのために荷物を置いて注文の列に並ぶなど、彼らからすると怖くて仕方のないことを私達は平気でしています。それだけ安全で、かつ他人の目というものがあるという信頼感もあるのでしょう。

 しかし、一方で上記の総領事のようにマッドマックス的な世界観の中で生きている人が地球の上に同じように生きています。盗まれる方が悪い、殴られる方が悪い。と言う感じですね。そうなると、弱者であることは、ある意味で不正義になるのです。恐ろしいですよね。

 日本で生まれたことだけで儲けもの。とも言われますが、それを改めて思い起こさせてくれた駐日総領事の「教訓」でした。そして、大きいから・強いから正義だとは限らない。できるだけの事を頑張ろう。と考えさせても貰えました。笑。

 

鬱の人として理解して欲しい事

 損保から「不快な思いをさせました」とメールが来ました。普通のトラブルなら、それでもよいでしょう。でも、鬱が首をもたげて来ているのを必死で堪えている身には、病状悪化させられたのと同じ、深い切り傷に砂を擦り込まれたようなもので、不快なんて生やさしいレベルでは無いのです。

 もし、身近に鬱の人がいたら、厄介だとは思うけど、少しで良いから気遣ってあげてください。それが普通の人より大きな励みになるのが鬱なんだと思うので。

前回記事の訂正として

 この投稿を書くまで「四魂」は伝統的な考え方だと思っていたのですが、改めてWikiなどを見ると平田篤胤の弟子である本田親徳が出所となっているようですね。でも、とても良い概念だと思うので、改めてWikiなども参考にしながら、書き進めたいと思います。
 四魂は一つの霊に4つの側面がある事を言います。
1) 荒魂
2) 和魂
3) 幸魂
4) 奇魂
です。荒魂は、神様なら荒ぶる神と言われるような状況。「勇」を指すと言われています。熱田神宮でも最も神聖視される「一之御前神社」には天照大御神の荒御魂がお祀りされていると言います。天叢雲剣をご神体とする熱田神宮には最も相応しいでしょうし、私のような凡人では、時に抑えきれないほどの荒魂が出てきちゃいます。
そして、一つ飛ばして幸魂ですが、これは人を慈しむ心、育成する愛の象徴のような側面です。どんな極悪人でも、必ず心のどこかに、この魂が宿っていると思います。
また奇魂ですが、神社によっては所願が奇跡的に叶うようにということでしょうか、唱え言葉の一部に「奇み給え」と入っているところがあります。
そして和魂です。「にぎたま」と読めば、聖徳太子の十七条憲法の「和を持って貴しとなす」と言う人々との調和や親交を示す側面です。平らかにそして、団結する意味をなすと思います。そして、この和魂の別の読み方「やまとだましい」が集まり巨大化すれば「大和魂」なんだなぁと思ったのは、昨日の投稿でも書いたところです。
 さて、この四魂を考えると荒魂と和魂とは相剋関係にあるように見えます。が、実際には、一つの霊、つまり一柱、あるいは一人の中にある側面です。決して矛盾はなく、ある時には一人で、場合によっては団結して(大和魂)で荒魂を顕して戦うこともありますよね。それは、小さな企業が市場に打って出る時も時にも必要な事です。
 寧ろ、この四魂と相剋するのは、やはり「漢意(からごころ)」ではないでしょうか。皆で必死になっている時に一人クールに「うーん、無駄でしょ。だって相手は大きいんだから」などと気取っている様を何度も見てきました。逆に一人が熱く闘っているのを「リスクは?」「顧客規模が大きすぎる」「うちがプライムでは受けきれない」「これをやって横展開できるの?」など漢意丸出しで責任を一人に押し付ける漢意のお歴々と何度対面してきたことか(笑)。これより酷いのが「このお客さんは大事なところだから、お前にしか頼めない」と言って、行ったが最後、何の応援もなく「いやぁ、俺たちにはどうにもできない」「一旦、引き受けたんだから、最後までやり通せ」ということもありましたね。
 なぁんて、嫌な思い出を引き合いに出してしまいましたが、この漢意と言うのは、別に「漢」と言う国を指しているわけではなく、私達の若しかしたら5つ目の魂に刷り込まれているかもしれませんし、西洋人(俺は明治の人かっ!)でも少なからずいます。いや、多いでしょうね。
 そんな中で和魂(やまとだましい)を貫きすぎれば、結果、私のような鬱患者も出てくるのは必至です。では漢意に迎合すれば良いのか?これも違うと思います。いや、漢意に心を売っている人なら、治すべきですし、染まりきっていなければ和魂を大切にして欲しいのです。それは、日本が「ものづくり」の国だからです。
 今や大きなメーカーの多くが中国や東南アジアなど海外に生産拠点を移しています。しかし和魂が入った製品だから日本メーカーとしてのブランド力として売れるのだと思います。一方で、矢鱈と合理化や欧米の経営方針を取り込んでしまった結果が、徐々に増える自宅内のヨーロッパブランド製品へと移り変わる様に現れているのではないでしょうか?それでも、基盤となる素材や技術には、まだまだ日本製が必要とされています。ブランドはヨーロッパで、中国製となっていても、使われているベアリングや製造過程に必要な洗浄剤など日本製品がなければ組み立ても販売もできないものが多いのです。人に見えない所で、コツコツと研究開発を続ける大和魂が、これから、もっともっと必要とされる。と私は思っています。
 一方、同じものづくりに入るのでしょうか。IT、特にソフトウェアは展望が無いと考えています。これは造り手の責任もありますが、買い手・利用者の責任も大きいと思うのです。ECサイトを見ていると、AMAZONに比肩しているのはヨドバシぐらいかなぁ?と思います。楽天やビックなども頑張っていますが、使いやすさやコミュニティとしての機能まで網羅して使い手、買い手の事を考えているサイトは少ないと思います。これが金融になるとトンデモなく酷いですね。今、ある保険会社と支払いについて協議をしていますが、まず、申し込みサイトがとても使いづらい。代理店の人と会話しなければ、一応、IT屋でECやオンライントラベルの仕事も利用もしてきた人間には使える代物ではなかったことだけは覚えています。そして、そこに書かれていると言う重要事項も、まるでロゴバナーに埋まるように記載されている。
 バナーが横スクロールでもしていたり、ブリンクしていれば、目が行くでしょうが、一旦、そのサイトに入ってしまえば、バナーを見る人は少ないのです。重要事項だってバナーに埋まるように書かれていたら、見落とすことは自明の理でしょう。

 それを読まなかったと言うことで、私は加入していた保険で保険金が降りないそうです。そこで、幾つか、前回記事でお勧めした保険加入について、教訓として書くことにします。

1) もし対象の疾病に罹った時、何らかの支援策が設けられているか

 鬱の急進期を経験すると、その間に書類に目を通すだけでも難行苦行になってしまいます。特にWebでの加入商品が増えている中では「それがWebです」の一言で、加入者の自発的な行動が必要とされてしまいます。これでは保険料を支払っても見合った保険金を貰う事が困難です。商品のカバレッジとなる疾病だけではなく、どのような付帯サービスが有るかを確認しておきましょう

2) 責任開始日

 自動車保険や火災保険など損害保険は、非常に短い期間、代理店での契約→責任開始日設定が可能です。しかし、疾病などの障害に対する保険は、責任開始日が一ヶ月や二ヶ月経過後とされるものがあります。私が正にこのケースに引っかかったのです。保険に加入したことで安心して、急速に鬱症状が進行してしまい、病院に行ったのが責任開始日以前だったことから、保険の対象外とされました。もし、頑張れるなら、良き保険商品を見つけ契約をした後、責任開始日以後に通院を開始することをオススメします。

 ただ、これは完全に矛盾ですが、鬱は早期に治療をした方が、恐らく寛解までのサイクルが短いと思われます。だから、本来は、保険会社が責任開始日を出来るだけ短い期間設定にして、鬱を疑っている人が安心して通院できる環境づくり(商品設計)が必要だと思うのです。

 この事があったので、昨日の投稿は危険と考えました。

3) 揉めた時

 契約時の問題は、どの保険会社も営業が主体窓口になるケースが多いようです。純粋に支払いとなると支払いが窓口になるのですが、この連絡・責任体制が曖昧な場合、加入者には地獄です。しかも大手の団体保険となると営業が主体になった瞬間、慣れない「BtoC」の対応をするため、まるで素人と変わりません。いや、素人の方が責任感を持って対応してくれるようにすら思えます。つまり営業は通常「企業」を相手に商売をします。特に損保の場合、直接ではなく「代理店」を経由した営業しか経験していないのです。それが加入者との対応となると、情報の連携が図れず、問い合わせ1つに対して、ノーレスも珍しくありません。これが代理店が動いてくれるのであれば、まだ良いのですが損保会社自身だと、全く素人仕事としか言いようのない対応になります。

 先程書いたように、急進期を脱する前に支払い請求をしようと思って、確認や対応依頼をすると、恐らく病状が悪化します。私自身、この対応で頓服を過剰摂取して一日半を棒に振りました。でも保険会社から見たら1万、10万の一人でしかない、レアケースだと思いこんでいるのでしょう。これも先程書いた付帯サービスにも関わることですが、上記のようにレアケースとして扱うような保険会社の場合には、商品は良くても、実際には使えないという結果にも成りかねません。きちんとは調べていませんが、休業補償に精神疾患を含んでいる生保の方が、保険料は高くなっても多少は、実態に即したサービスがあるかもしれませんね。

 そして、このような「使えない商品」にしているのは、保険会社の「漢意」が大きく影響していると思っています。他社と同等だから、金融庁の指針に適合しているから、など依拠する理由(防衛ライン)は作っておいて、利用者からのクレームを「レアケース」で片付けようとする。これが漢意です。「でも規則だから」と言うのは十分判ります。が、先程も書いたようにノーレスになったり、たらい回しにされることが規則なのでしょうか?他人事のようなメールで「謝罪です」というのも?

 ITで飯を食ってきた私から見たら、システムの使い方、設計が間違っているとしか言いようがありません。加入者をCRMに登録しておけば、複数の商品を契約していれば、その案内は簡単に出せます。「マイナンバーがないからね」なんて言い訳は、通用しないですよね。なぜなら、何十年もマイナンバーの無い中で「名寄」と言う技術を使って、個人特定を可能にしてきた歴史があるのですから。Webにしても本当に見やすい、使いやすい、リスクを加入者が理解できる設計にしているとは思えません。特に精神疾患の予備軍(と敢えて書きます)が、丹念に一文一文を理解し、申し込む事は困難です。商品のキャッチコピーと概ねが理解できれば飛びつきたくなる保険商品がアチコチで見つかるでしょう。そして保険料を考えて損保にする。と、私のような悲劇に見舞われるなんて事に成りかねません。

 簡単言えば、その保険商品の代理店ではなく、損保会社が本当に加入者に寄り添えるのか否かが、ここまでつらつらと書いてきた最大のポイントです。別の言い方をすれば、大手の損保会社ほど、長年の慣例から加入者本人に寄り添うようなビジネスをした経験がありません。「でも保険の支払い窓口は、慣れてるでしょ」と思われるかも知れませんね。それは間違いです。保険のシステムを考えと、自動化やWeb化など「販売」に関わる部分は、システム化費用を大きく掛けています。言い換えれば売上に直結するのでシステム化に予算を突っ込んでも見合うのです。ところが支払いは、恐らく一番、システム化予算の割合が低いはずです。とある生命保険での導入に当たって支払いを担当したことがありましたが、システム屋の言葉は一切、通用しませんでした。それくらい旧式のシステムを四苦八苦しながら使い、そして「これじゃ、人件費ばかり増える」となるとシステムの更新に入るのです。そのサイクルが非常に長いので現場の人たちでシステムの導入や更新の経験者がおらず、予想外にデモやモックアップを作らなければ理解の共有ができなかった記憶が鮮明に残っています。例えBtoCに慣れていたとしても、システム…デジタルデバイドと言う概念で言えば、完全に篩いにかけられるような人たちが少なからずいるのです。現にメール一本に資料を付けて送付するように依頼しても、Zipの暗号化に何分もかけ、その間、無言通話で待っていなければならなくなったこともあります。だから口八丁で済む範囲内であれば、サクサクとこなせるのでしょうが、指をキーボードやマウスに乗せた瞬間、こちらも素人になっているのですね。

 このような状況が日本の金融ビジネスの限界点を低く抑え、またホワイトカラーの生産性の低さを生み出しているのではないでしょうか?

 私のように外資のIT屋で暮らし、国内にある外資の銀行・保険・ECなどと会話をしてきた人間から見ると、日本の会社のシステム化はもはやガラパゴスと言って良いのではないでしょうか。そんなデジタルデバイドを緩和する製品の一つにRPAと呼ばれるものがあります。某社の知人に聴くと、RPAが2−3年前に爆売れしたのは日本だけだよ。と言われました。つまり欧米では、RPAに頼る必要のないシステムと人が用意されていると言う意味です。

 そしてもう一点は、システムが何のために存在しているのか?と言う根源的な理由です。日本の場合には「合理化」や「ペーパーレス」を経由して「DX」の為にと言います。外資のITベンダーにいた人たちからみたら「ほら、言わんこっちゃない」ではないですか?データが部門や担当者毎にサイロに治められてしまって、それを無理やりデータベースで一元化しようとして失敗する。結局は、どうやって属人化やサイロ化を抑制するのか。というプレゼンを2005年にはしていた記憶があります。が、その時に言われたことは「うちに自動化って言われてもね」「リアルタイム性?必要?」で終わりです。これらは、本来、少なくと欧米で売上に寄与し、顧客のロイヤリティを上げるための方策として考えられた内容でした。しかし、日本では顧客のロイヤリティよりも、金融庁や競合他社の動きが気になるだけで、顧客には目を向けてこなかったのです。そして何か事が起きると「システムがー」と言い訳にする。そして、それを聞いたシステム部門が出入りのIT業者に「お前らプロだろ」と叱責をして、要件になかったようなことまで含めて修正を求めてくる。ところが顧客が「お前らプロだろ」と言うと「私達の姿勢が悪くてゴメンね」で終わり。これで日本のIT産業が育つと思いますか?恐らくITをやっている人の8割は法令改正やOSなどの更新に合わせて黙々と作業をしているだけです。プロもへったくれもありません。そのプログラムやサブシステムに特化した専門家が育つだけです。ITを使って顧客企業に成長してもらおう。そのことで自分たちの利益も最大化できるようにしよう。なんて大和魂を持った人なんて芥子粒程度しかいないんでしょうね。残念な業界です。

損害保険と傷病手当と経済環境と

!==== この記事は、鬱や他の精神疾患等を誘発する危険があります。詳細は、当記事を悪例として別途記載する予定のため、削除はせず、現時点では、当記事を参考としないよう、お願い致します ====!

 

 

 ようやく発病以来、240日以上を経過して、損害保険での給与補填の保険金請求書類が先週末になって届きました。弊社人事部からはw「12月中には」→「1月中旬以降には」→「2月の第二週か第三週に」と聞いていたので、本当に「ようやく」届いた感じです。

 が、内容、それほど多くのペーパーではないのですが、小さな字でA4用紙にびっちりと書き込まれた案内が入っており、目に入った途端「ギブ!」でした。未だにモニター以外の活字を読みづらい…やる気が起きないんですね。それでも「読まなきゃ」と言うことで日曜日に内容を読み

・Dr.の記入が必要なもの(診断書)

・会社の記入が必要なもの(給与台帳など)

・意味不明なもの

などを仕分けして、今日、月曜日に開くコールセンターで、内容の確認をしました。

 まず、正直に言って「患者本人に理解させ、記入させ、問い合わせさせるのって、結構、酷じゃね?」と言う印象です。コールセンターとは言っても支払い系なので、担当者が決まっており、その担当者がとても快活な声で「そうですね」「送ってください」と言われるたびに「こいつ、健常なら簡単な事でも、こちとらには重すぎるんじゃ」という事を気楽にお話ししてくれます。ただ、今までにもコンタクトセンター系のソリューション展開はしたことがありますが、アンケートや評価に「元気すぎる」なんて項目は無かった気がするので、あくまで抑うつのマイノリティの意見なんでしょうが😁。

 という事で、また管理しなくてはならない書類が増えてしまいました。まずは、今日の時点で医師に診断書作成を依頼するために通院。次回の診察日までには頂けるようでしたが、月末日より前になると管理が面倒になるので、月末に締めて月初に受け取るようにお願いをします。ただ、この診断書…1.1万円なんです。ちょっと高額で引いちゃいました。(受付の人に「大丈夫ですか?」と聴かれたので「大丈夫じゃないと、保険金降りませんから。

 

 会社にも給与明細(台帳)や傷病手当の支給一覧などの取寄を依頼。などなど、なんか仕事しているくらいのバタバタさ加減で、ここまでの時間を過ごしています。

 でも、生活に必要なお金です。お金は大切です。必要なものを手に入れるためですから、ちょっと一生懸命に駆け回って、今。です。

 もし、給与所得者で団体保険に加入している場合、鬱などでの休業補償が特約でももらえるプランなら、丈夫なうちに入っておくことをオススメします。私も「結構、ヤバいなぁ」と思っていたら、何故か「そんな特約ができました」的な会社メールに入り、給与天引きされても痛くないレベルで申し込み。それから数週間ですかね、いや数日?どっちにしてもかなり短いタイミングで「はい。じゃ、お薬飲んで」と医師に言われるようになりました。

 鬱は発症してからの方が、発症前よりも大変な事が多いのです(色々なグラフや図が、精神科などのサイトで公開されていますから、見てみると良いかと)。多分、「はい、鬱ですよー」と言われると、脳も身体も安心するのかもしれません。妙に「頑張んなきゃ」「今が踏ん張りどころだから」と気張っていたものが外れるみたいに。

 これを長引かせると、もしかしたら、私みたいにのんびり(でもないんですが😁)ブログなんかを書いて生きている訳にもいかず、手首にもどこにも傷もつけずにブラブラできていないかもしれません。出来る限り、早期に専門医に診てもらう事。そして、鬱の最大の敵は「経済環境」です。多分、鬱と診断を受けたら、あっという間に有給休暇も私傷病休暇も吹っ飛びます。いつ、以前のように毎月25日には口座にお金がはいるようになるかは見えなくなります。そのためにも、できるだけ丈夫なうちに精神科系の病気もサポートしてくれるような保険に入っておくことをオススメします。長期に亘って面倒を見てもらえるプランなら、安心してブラブラできますしね。気持ちが切羽詰まると碌なことにならないのが鬱病です。できるだけ、心にゆとりと安心感を得られるように、晴れている時にこそ、傘を買っておきましょう。

いつもながらに、ビロウなお話ですが…排尿障害

 今までも、お通じについて何度も書いてきました。最近は、奥さんのススメもあって、毎朝、お酢を飲んだりして、かなり改善してきたような気がします。

 さて、今回は、お通じではなく排尿について書きます。

 私は元来が「遠い方」で打ち合わせが立て続けにあっても、トイレに行かずに過ごしていることもあるくらい、一日での排尿回数が少ない方でした。でも、今は、できるだけ頻繁に行くようにしています。と、言うのも、我慢が出来ないんですね。もう少し正確に書くと、我慢しきれないんです。

 男性なら判ると思いますが、最後の最後、力を入れればギリギリでも我慢できたりするものです。が、今のわたしの場合、例えばボォーっと歩いているときに「あ、今日はトイレ行ってないや」と考え始めると、ものの5分ぐらいで尿意を催し、トイレを探しまくる世界に入ります。普段なら、それでも何とか我慢は出来たのです。が、今では、この探し回っている間にチョビリチョビリと漏れ始めます。我慢できたつもりでも、トイレでパンツを触れば、その惨状が嫌でも手で判ります。

 これを「加齢」の問題と見るのか、それとも「泌尿器科系」の病気と考えるのか、はたまた「精神科での服薬の副作用と考えるのか」と深く落ち込みつつ、考える日が続きました。

 前回、思い切って奥さんには告白、そして精神科でも上のような説明をして医師の意見を待ちます。精神科と関係無さそうなら「おむつとかすれば」と言い放ってくれるタイプなので、なんと言うか判りやすい意見を出してくれるので、それを数秒待っています。すると「サインバルタの作用かもねぇ」と。サインバルタが交感神経を刺激しているので、もしかすると、その副作用かも知れないと言う感じです。先程書いた、3つの選択肢の確証はありません。ただ、可能性を潰す意味で、サインバルタの処方を60mgから50mgに減薬して様子を見ることになりました。

 以前、食欲過多で減薬をしてから、二度目の減薬です。しかもサインバルタの「効き目」は健康診断や血液検査で朝食抜きの時に、嫌でも認識しています。つまり午前中から午後に掛けて、こうしてブログを書いたり、コワーキングスペースに出かけようと思えるのもサインバルタの後押しがあってこそ。という状態です。減薬の効果の出方によっては、お漏らし覚悟で再度60mgに容量を上げる必要もありそうです…。が、取り敢えず、様子見、そして奥さんにお願いして尿もれパッドを購入してもらうことになりました。

 ね。これが「心の風邪」の怖いところなんですわ。風邪でオネショなんて子供じゃないんだから、と思うでしょ。寝ている間は、まだ良いのですよ。少なくともオネショはしていない。でも、神社巡りなどをしていると、段々、公園や商業施設やパチンコ屋など、いざという時にトイレが使えれる場所を確保しておかないと、おちおち歩いてられなくなっているんですよね。風邪で、そんな事になりますかね?(😁)。いや、たしかに加齢や泌尿器科系の病気かもしれないので、心の風邪のせいだとは言い切れません。ただ、医師も診断を下せない状態になると言う「謎」な状況にさせているのは、風邪なんかでは考えづらいでしょうね。だから「心の風邪」と言われると「なんだかなぁ」と思っちゃうわけです。

 多分、今週中には尿もれパッドを付けて外出をする日が続くと思います。サインバルタの減薬が功を奏してくれれば良いのですが…。でも、まぁ、散歩ができる、神社仏閣を尿意を気にせずに歩ける。っていうのは幸せな事です。兎にも角にも、この「問題」を解決か軽減できればラッキーです😁。

夢と宝くじ

 宝くじ。奥さんはマメに買っていますが、私は年に一回、二回、買うかどうかという感じです。理由は簡単で、いわゆる公的なギャンブル…競馬や競輪などに比べて還元率が低いからです(パチンコなんて、もっと低そうですが😁)。

 なので、元々宝くじを買う習慣もなく、昔は競馬場に通っていたこともありましたが、結婚して暫くしてからは競馬場にもパチンコ屋にも行かなくなりましたねぇ。その代わりに宝くじ?という訳ではなく、自分なりにある出来事があると買うようにしているんです。

 それが「夢」です。将来の展望の「夢」ではなく、正に夜見る夢です。先日は「吉夢」と言われる富士山が出てくる夢を見たのでジャンボを買ったのですが…見事に外れ(😁)。そんな事もあるでしょう。で、また今回はバレンタインジャンボを3,000円ですが購入しました。どんな夢を見たか興味ありますか?

 その夢は昭和天皇が出てくる夢でした。多分、昭和20年代のお姿、全国を行幸されていた時期のお顔でニコニコと登場されたのです。私は直ぐ側で、何やかやと駆けずり回り、陛下が立ち回る先で側用人みたいな事をしていました。陛下は何も仰らないのですが、近づいてくる人たちに笑顔で応対されます。そんな立ち回り先には小学校もありました。その小学校の隣にも別の小学校があり「種、育てコンクール」みたいなものの結果発表の直後でしたね。すると隣の小学校が優勝。悔しがる訪問先の小学生たち。そんな子どもたちを陛下は何も言わず、ただ笑顔で慰めています。笑顔だけで喜びや慰問ができる陛下を見ていて「やっぱ凄いや」とか夢の中で感動している私。と、ふと自分の姿を見ると短パンにTシャツ姿。こりゃ、ヤバいぞ。と思い、慌てて荷物を置いてある部屋へ移動し、陛下の所に戻ると、有名人が取り囲んでいます。身の程を弁え、そんな人達を遠巻きに見ている私。でも、何故か寂しさも何もなく、陛下がご対応されている様子が楽しくて仕方ありません。と、いう所で目覚ましの音。昭和天皇との楽しいひとときはこれで終わりです。

 最近は薬の影響で、中々、こんなストーリー性のある夢を記憶できなくなっている私なので、場面展開が激しいながらも、筋がある夢自体が珍しく、そしてそこに昭和天皇のお姿があったので、宝くじを買った次第です。

 きっと当たる!と思って抽選日を待ちます(😁)