fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

気が急くと

 会社を休んでいるので「気が急く」と言う場面は少なくなりました。が、それでも時々「診察時間がー」とか「人と待ち合わせの時間がー」など急く場面が皆無になった訳ではありません。

 昨日は、足立区の皿沼へ行ってきたのです。家からだと半蔵門線を表参道で千代田線に乗り換え、西日暮里へと向かいます。乗り換えが終わると暫く千代田線に乗りっぱなしです。するとついウトウトとしてしまい…「終点ですよー」の声と肩たたきで起こされてしまいます。場所は綾瀬。仕方ない、戻るしかありません。綾瀬からの戻りは、目をバッチリと見開いて西日暮里まで頑張ります。この時期、お尻が温かい車両は危険です。

 西日暮里からはバスで皿沼にあるお不動さんへと向かうのですが、バスが30分待ち…、徒歩も考えたのですが、これが1.5時間。かなり厳しい距離です。そこで近くにあったコーヒーショップで簡単に昼食を済ませてしまうことにします。で、バス到着までの時間を潰すと、空いている車内で適当な場所を探して座ります。すると…またウトウト…。ふと気づいてiPhoneを見ると、とっくに降りているはずの表示。またもやっちまいました。そこで慌てて次のバス停で降りると、通ってきたであろう道を戻りつつGoogle Mapを開きます。ここまで500mぐらい戻ったでしょうかね。と、Google Mapは逆方向を案内しています。いやぁ…どうも、お不動さんを中心に回り込むようなルートだったようで、戻る必要は全くなかったんですね。仕方なく、Google Mapの指示に従うことに。これ、降車したバス停の若干手前までのもどり道。気持ちが焦りだします。まだ1時頃ですから、焦る必要は無いんですが、ドジが重なって結構、ダメージが有ったのかもしれません。歩くこと20分ぐらいで到着。

 この前、2.5万歩ぐらい歩いた以上に疲れが全身に襲いかかってきます。お寺も良かったし、帰り道に立ち寄った神社も良かった。でも、気が急くと、どうにもコントロールがダメになるみたいですね。

 しかも、これに先立つ前日の土曜日。週末に訪れるファミレスで書物…というより、ほぼYoutubeを見ていると、後ろから外人の大きな会話の声が聞こえてきます。ドリンクバーに立ち上がって、外人客を見ると、マスクをしているので本人かまでは特定できませんが、恐らく昔、一緒に仕事をしていた人。こんなご時世ですが、元々、日米を行き来していたので、こんな中でも来る可能性は高いかも。と思い、一瞬、話しかけてみようかと思ったのですが、頭の中で会話のシミュレーションをしてみると動悸が…。彼の会社の製品を使って、自分の会社で仕掛けよう。と言うのが発病直前での出来事だったし、私が「病欠」という事は伝わっているので、話しかければ時候の挨拶では済まず、あれこれ突っ込まれる可能性が大です。そう思うと、動悸が久しぶりに大きく胸をドラミングしてきます。きつかったなぁ…。

 まぁ、そんな事も重なって、僅か9,000歩の足立区の旅が異常な疲労感で終わったのかもしれませんね…。

起床時間の変更

 奥さんのパートもあって、起床時間を6時→7時に変更しました。一時間遅いだけですが、以前は6時に起きて(温かい頃は)散歩→風呂→食事。で、身支度して外出だったのですが、今は散歩をしていないので、起床→食事→二度寝→風呂。で、身支度という、少々おかしなサイクルになっていた分、正常化されたような気がします。

 では二度寝しない分、寝不足になっているか?と言われれば、起床時間そのものを後ろ倒しにしている分、そんな感覚は今の所、皆無です。寧ろ、起床したところから、ブレーキを掛けずに外出ができている分、スムーズな日常になっているかもしれませんね。

 そして、少し変わったのは奥さんと一緒に毎朝、お酢を少々ですが飲んでいることでしょうか。腸内フローラに影響有るのかな?まぁ、不調にならなければ何でもOKだと思うので。

 そして、散歩を止めた当たりから、やらなくなっていた瞑想。少し前にコーヒーをがぶ飲みして動悸とダウンが来てから以後、30分ほど続けるようにしています。そこで少し気づいた事があります。以前、と言っても相当前の記憶ですが、自分を外側から観察する癖がありました。まぁ「世間体」っていうやつに合わせる為だと思うのですが…。それが、今は結構、辛いです。良くコントなどにあるように自分の中の天使と悪魔が言い争いするような感じ?。が、天使と悪魔が一体化した形で自分と語り合っていたのですけどね。今は自分の内側で話し合う感じです。中々、客観的に自分を見るのが難しくなっているのかもしれません。

 それでも、瞑想をするようになって、気持ちが浮ついたような、落ち着かない感覚が少し収まっているように思えるので、それなりに効果はあるんでしょうね。

 

損保特約が…

 発病から半年の免責期間を過ぎて、損保の申請が待っています。これで少し楽になるのですが、会社から来た連絡は12月に「1月になったら」、1月に入って「中旬以降」、1月20日「そろそろ」で、とうとう1月が明けてしまいましたね。どうなっているんでしょうか。

 ところで、先日のことですが、ファミレスで仕事(?)をしていたら、隣席の会話が耳に入ってきました「メンタルは含まれるの?」「はい、カバーしています」「でもなぁ、鬱病とか歩き回れちゃうでしょ」「そうなんですよねぇ。特約だから外せますよ」とか…。想像するに企業の経営者なり総務担当者と損保会社の営業の会話と思えました。

 思わず「鬱で歩き回ってたら問題なのかよ!」と言いたくなりましたが、イヤホンをつけて会話に気を取られないようにしてしまいました。多分、鬱病って「罹ったとしても自殺さえしなきゃ、健康な人と変わらない生活ができる」とでも思っているんでしょうね。確かに、その側面はあります。が、そうなるためには、一日に二桁の服薬をして、呼吸法や運動、食事などに健常だった頃よりも二倍も三倍も気をつけないとなりません。その上、仕事のストレスが原因だった私の場合、仕事の事、会社の事を考える事自体が強度のストレスになっていたりします。

 歩きまわって、一種、何も考えない時間を作ることが、いけないことなんでしょうか?会社にとって不都合だと思うんですかね?それとも保険料が惜しいんでしょうか?

 保険の本旨は、万一に備えて加入者が共同して資金を提供するものだと思っています。「よくある病気」なら今は兎も角、以前なら保険に加入できなかったもんですよね。それを考えると「動き回れる鬱」だって、罹患率を考えれば決して高くは無いのです。ところが、私も既に半年を過ぎましたが、ちょっとやそっとで職場復帰もままならない場合もあり、会社にもですが、患者本人の収益に大きな影響を与えます。

 そう考えると「歩き回れる」と言うことだけが、他の重度の疾患と違うだけで、それ以外は変わらないんじゃないでしょうかね?

 こういう会話を聴くと本当に悲しくなるものです。自分の隣席で頭を抱えながらPCに向かっている人がいたら、コーヒーに口もつけずにボケッとしている人がいれば、やたらゲームばかりに固執している人がいれば、鬱の患者さんかもしれませんよ。そして心を痛めながら、お話を聴いているかもしれません。

 そう考えたら、軽率な発言にならないかな。と思った次第です。

おみくじと占いと

 皆さんは、おみくじや占いって好きですか?

私、実はこの数年、おみくじを引くことはありませんでしたし、占いも殆ど見ていませんでした。悪いことがでると嫌じゃないですか。

 ところが、と言うか、去年、寒川神社でご祈祷をお願いした時に、久しぶりにおみくじを引きました。内容は特に覚えていませんが、吉が出たのは覚えています。その後も、幾つかの神社やお寺でおみくじを引くと、やはり吉の連発。ただ氏神様では末吉、大國魂神社では大吉。と、まぁ佳き方を信じるのが人情。なのですが、基本、どれも書かれているのが今までの苦労が報われる時期に来ているように書かれています。

 そして拙サイトのコンテンツを書くために様々なブログなども参考にさせて頂いているのですが、その中で「Dr.シンの占い」と言うのが目につきました。数年前から穴八幡様で一陽来復のお守りを頂きに参拝すると、ちょっとした人だかりになっている出店が占いコーナーだったのですが、それがどうやら「Dr.シン」だったようなのです。基本、コンピューター占いなので500円とか、占いとしては安価で「まぁ、会えれば見ていただこうか」と考えていたのですが、今期の穴八幡では出店が無かったので出会えず。

 その後、ちょっと諦めつつ「そう言えば普通の占いって」と思って、幾つかの占い師さんのサイトを見てみたのですが、妙にスピ的で…。鬱になってから気をつけている事の一つが「間違っても印鑑や水、壺なんかを買わない!」です😁。心が弱ると、どうしても何かに頼りたくなる。私の神社仏閣巡りも、その効果があるのです。それで十分。沢山の神様と仏様に頼っていますし、イマジナリーペットの龍たちを引き連れて…と言うより背中を押されながら歩き回っています。

 それでも「見ていただこうかな」と思ったのは、コンピューター占いなら手のひらがスキャンされて、それを渡されて終わりだと思っていたのですが、体験者の人達のかきっぷりは「紙など見ずにシンさんが話すんだけど、その内容が当たっているんだ」という感じで、惹かれたんですね。その一方でシンさんが出店しているのは、日本全国津々浦々、出会えればラッキー程度に考えていましたし、穴八幡様で空振りになったことで、余計に「まぁ、中々、難しいだろうな」と思ったのです。

 ところが、とあるサイトでシンさんのメルマガがあると知り、一昨日、その登録をしました。でも、気持ちの中では半信半疑。いつ来るとも知れないメルマガで、それも関西や北海道だったら…なぁ。とか思っていたら、昨日、初のメール受信。日は初大師の1/30、場所も川崎大師。「ん、行けるじゃん」とは思ったのですが、その日は別のお寺に行きたかったので思案。当初の予定を曲げるのか、それとも、これほどタイムリーな状況をご縁と考えるのか…。です。

 で、結局「うん、こんなにタイミング良く会えることは無いんだから、川崎大師にGOだ」と今朝、決めました。

 9時半頃、家を出ると電車の乗り換えを繰り返して川崎大師に到着です。お大師様には申し訳ないのですが、最大の目的がシンさんの占いだったので境内に広がる出店からシンさんのお店を探して、ちょっとウロチョロ。そして不動門の近くでテントを見つけて「やた!」です。既に女性が二人、一人はシンさんに占ってもらっている最中、そしてもう一人は、シンさんの奥様から手の消毒をされて手のひらスキャン中。そこに私も並びます。財布から500円を取り出し、奥様に渡すと消毒をされ私も手のひらスキャンです。私の前の女性が「ありがとうございました」と言って立ち去ると私の番です。

 「あんた、強運の持ち主なのに脇が甘い」と最初からカマされました(😁)。ただ、詳細は省きますが、一言一言が妙に刺さるんですね。最後に「頑張って😆」と言われて完了。その後は、各お堂を巡って参拝も完了。そしてもう一度、シンさんのお店の前に行くと、ちょうどお手すきだったので「また、迷ったり、喝を入れて頂きたくなったら参ります!」とお礼を言うと「どんどん、発信していくから、またね😆」と。時間にしたら5分ぐらいでしょうね。でも、プロの仕事ですね、短いとも物足りないとも思わない。こちらからする質問にも答えてもらえるし、更に余計な話まで(😁)。

 想像していたシンさんは、気難しそうな人だったのですが、見て頂いている最中は、ビシバシ直球を投げてくる気の良い親父さん。そしてお礼の時には実に紳士で、奥様と良いコンビなのが判ります。

 占いは当たるも八卦当たらぬも八卦です。が、佳きことは佳きこととして受け入れ、そして注意すべきところはアドバイスとして聞き入れる事が良いのでしょうね。

 

 常に鬱の事ばかり考えているわけではありませんが、自分の人生です。自分で佳きと思った方向に尽力するようにがんばります。

 

 

 最後ですが、シンさんのメルマガは

teso-subscribe@openai.jp

 へ空メールをすれば登録完了です。

もし、ご興味があれば、登録してみてください。

意外かもしれない鬱の日常

 急進期も含めて、鬱病の患者の日常を少し振り返りつつ、書いていきたいと思います。

・意外に笑います

 鬱病と聞くと一日中、陰鬱な表情で過ごしているように思われるかもしれませんが、実は、意外に笑顔で過ごすときも多いのです。神社仏閣巡りで「当たり!」と思える境内に入れば自然に笑顔になりますし、薬の作用で朝は比較的、元気です。昼間だってボォーっとしているときには自分が鬱だと言うことを忘れていたりもします。

 それに、こうしてブログやサイトを書いている時には、仕事に没入してイイ感じの時と同じ様なゾーンに入っていることもあります。そんな感じで完了すれば、これも表情に出ているんじゃないでしょうか。

・ポカをやります

 元々、ポカの多い私ですが、鬱になってからは頻繁にポカをやります。代表例が忘れ物・落とし物でしょうね。もうオンボロになったiPadをファミレスで書き物をする時のテザリングのステーションとして使っていた時には、iPadを置き忘れて翌日になって気づいてみたり…。無事、お店で預かってもらえていたので助かりましたが。Ploom+を無くしてしまったりナドナド。奥さんも毎朝、私がコワーキングスペースに出かける時には発症以前よりも丹念に忘れ物チェックをしている様子で申し訳ない。という感じです。

・記憶や時間の感覚が変です

 これが今は辛いというか、違和感を覚えているところかもしれません。頻繁ではないのですが、やはり服薬の関係でこうしてブログを書きながらでも居眠りをすることがあります。すると、眠りが浅くなった時に自分がバスに乗っていたり、あるいは家にいたり、ファミレスにいたりと、目を開けて状況を確認した時に自分が現実にいる場所とは違う所で眠りに落ちたと思いこんでいることが度々あります。このように場所の感覚が狂いだしたのと同じ頃から、目覚めた瞬間に見たアナログ時計が、午前なのか午後なのかが解らないときもあります。「はっ、7時…。寝坊だ。目覚ましを6:00にしてたはずなのに」と思ったら、夜だったりとか。流石に覚醒している最中に狂うことはないのですが、覚醒める瞬間を境に時間と場所が一気に動いたような気がするのは、結構、気持ちが悪いものです。

 それと同じ様に、記憶も狂っていたりします。低下していると言っても良いでしょう。一つの理由は、故意に記憶を呼び起こさないようにしていることがあります。これは私が若い頃の経験も影響しているのですが、人間、過去の事は美化する生き物です。「あー、あの頃は良かったね」って奴です。が、私の場合、若い頃に「決して、今の苦しい状況を美化するような事無く記憶しておこう」とバブルの真っ只中、世間が踊り狂っている中、ひたすら汎用機の端末に向かってプログラミングをしていた頃に決めました。実際、それ以後の記憶は結構、克明に残っていて喜怒哀楽と言うより事実として刻み込まれています。そのせいで、記憶を呼び起こすと嫌なこと、辛いことも思い起こされて気持ちがダウンしてしまうのです。そのため、直近を含めて私の記憶は当てになりません。大事なことはiPhoneのメモやスケジューラーに残しておくように、なるべくしています。そしてもう一つ「記憶の再構築」に挑戦しています。先程書いた「記憶の美化」と同じことです。成功体験やおかしかった事、楽しかったことを集めた記憶媒体を頭の中に作っているのです。その媒体から引き出す分には、嫌なことは出てこない。そもそもない事にしています。以前にも書いたかも知れませんが、外資での経験である米人マネージャーが部下の首切りをした時、後から理由を尋ねたら「誰だそれは?」「わからない」を繰り返していたのです。すっとぼけって奴ですが、それも彼にとってはストレスコントロールだったんでしょうね。だから、私も真似をしようと思った次第です。

4. 食生活

 食生活は、かなり変わりました。以前なら朝は軽く、昼はがっつり、夜は比較的軽めで晩酌。だったのですが、朝は重ため、昼は軽め、夜も軽めでほぼアルコール無しで過ごしています。昼が軽くなった理由は朝、がっつりと食べている影響もありますし、以前なら目が無かった(コワーキングスペースの近くにも名店があるんですけど)中華や牛丼などに全く目が行かなくなったのです。自分なりに解釈しないといけないのですが(決して、意図している訳ではないので)「店選びが面倒」「パンやピザには食指が動きやすい」「タバコを吸える場所が近いか喫煙所がある」など基本、面倒くさい行為が必要なランチにはしたくないんでしょうね。だから土地勘のない場所で神社巡りなんかをするとマックを目指すことが増えてしまいます。以前なら、初めての場所なら特に個人経営と思われるお店を主に考えていたのですが、そんな余裕も欲求もなく、ただマックなどのファストフードで済ませている感じです。

5. 身体の異常

 顔や呼吸にひきつりの様な症状が出ることは以前にも書いたと思います。笑った時に唇が小刻みに震えてみたり、緊張度に関係なく息を吸うと子供が泣きじゃくった時のように気管がしゃくり上げるような動きをするのです。これはクリニックで相談したのですが「わかんないなぁ」と言う事でした。そこで自分なりに解釈をしてみると、先程書いたように「笑顔」などの表情を作る時間が明らかに以前よりも減っています。声を張って話すことも殆どありません。以前、ろうあの方の話として聴いたのが筆談を中心にしていると、どんどん肺活量が小さくなってくるという事でした。つまり声を出すことがないと横隔膜などの力が弱くなってしまうんでしょうね。同じ様に表情筋も弱まっているのかもしれません。そこで、顔の運動や横隔膜を意識した腹式呼吸などを行って改善を試みている真っ最中です。

6. 就寝・睡眠

 治療を受け始めた頃から睡眠誘導剤を今も使っているので、眠るべき時間になったら、服薬して終わりです。夢は見ているのですが、起きると全てが断片化していてストーリーが判らないものばかり。時々昼間ボォーっとしている時に別の断片が出てきて、ストーリーを若干でも補完することがありますが、やはり何の夢?と聞かれると、説明できないんですね。そして、最近、なんだか違う夢なのに、どこかシチュエーションが似ている夢を毎晩見ている気がします。乗り物に乗ったり、人と離れたり出会ったり。ただ、それが、どんなストーリーで成立しているのかは、覚醒状態では全くわからないんですね。

7. お通じ

 何度も書いていますし、もしかしたらストレス過多の方のバロメーターにもなり得ると思うのがお通じです。私の場合、元々はほぼ毎朝、快腸だったのですが、鬱を発症する前、そして、それ以前にも過酷(と思う)仕事をしていた時には2-3週間、お通じが止まることが少なくありませんでした。お腹はパンパンになっているのですが、トイレを1時間占領しても出ないものは出ません。これが鬱発症後には、お腹の張りがそのまま気持ちをダウンさせる要因になってしまいました。そのため、治療開始からまもなくの時点で酸化マグネシウムを、そしてしばらくしてからはビオフェルミンを処方して貰っています。そして最近、ようやく1-3日に一回はお腹の中を空にできるようになりました。「鬱=命の危機」みたいな事が書かれているサイトが多い中で、こんなチンケな事を書くのも恥ずかしいのですが、当事者としては少しでも気持ちがダウンしないようにしたいのです。だから、度々ですがお通じには触れている次第です。プラシーボ効果かもしれませんが、腸に善玉菌を増やすと徐々にですが快腸になり、ダウンすることも減ったと思いますので、もし掛かりつけのクリニックで処方可能なら、お願いすると良いかと思います。

8. カフェイン

 「カフェインは鬱を予防する」と言う情報がネットのあちこちで出ています。が、正直、これに頼ることには疑問があります。というのも、最近も書いたようにコーヒーを飲みすぎた(約1リットル)日に直近では最悪のダウンに入ったからです。適度にお茶やコーヒーを飲むことは悪くないと思いますが、摂取をし過ぎるのは良くないと思います。

 

まだまだちょっとした事でヤヴァい状態に入りかけている…綱渡りをしているような私ですが、もし参考になったら幸いです。

書けない時

 最近は、このブログの更新頻度が以前よりも上がったような気がする今日このごろの私です。

 いつも、ただ散文を書いているばかりですが、そんな中でも「書けない」と思う時があります。いや、まだこのブログなら、こんな事でも書いていられるので気は楽なのですが…、サイトとなると、そうはいかなかったりします。

一つは、書く対象に思い入れができていない時。ただ、こんな時には逆に「直接的な表現をどう避けて書くか」という事にモヤモヤしてしまってキーボードを叩けなくなったりします。

次に多いのが「諸説ある」場合です。「不詳 伝」などと書けば逃れられるのか、どうかを各種史料を漁っている中で自分なりの結論を導出できるかに思案の時間を費やします。

もう一つが思い入れが強すぎる場合です。書きたいことが多すぎて、ストーリーとして纏まらず、ポイントのない平板な記述にはしたくないし、かと言って、その一ページに一日掛けるのも違う気がします。とは言え…気分が乗らないと、何も進まないんですよね(苦笑)

幻聴?寝ぼけ?

 ここのところ、寝覚め、夢見の最中に人から話しかけられる事があります。いや、これが現実に人なら良いのですが、人は居らずに聞こえてくるんです。一般的に、例えば私が時々、このブログや神社参拝ブログで書くように双方向参拝として神仏の声を聴いたことにする脳内捏造でもなく、実際に鼓膜を通じて聞こえているので始末に悪いんですね。この理由は、私なりの理解では2つです。

1. Youtubeなどで聞き流している音声が現実の声だと勘違いするパターン

2. 夢の中での寝言やいびきを他人のものと勘違いしいてるパターン

3. 鬱病の深刻化

この内、3の方は医師に相談して結論づけるべきだと思っていますし、少なくとも○醒なんちゃらのように頭に埋め込まれたラジオから声が聞こえる状況ではないのは確かです。

そして、1のパターンは突然、少し大きな声になって「はい」と言われた気になってうたた寝状態から目覚めた事があるので、原因として確実にある事は理解しています。もう一つも「隣のやつ、いびきかいて寝てるよ」とかで咳払いをした所で、目覚めたことがあるので確実に存在するパターンです。ただ、これと類似しているのですが、奥さんに迷惑をかけるパターンが昨夜の事として起きてしまいました。

 完全に寝ていると「わーははは」と大きな声で笑い声が家中に響いてます。隣室でテレビを見ている奥さんかと思い、ベッドから跳ね起きて「静かにしないか」と怒り口調で注意をすると「笑ってないし、声も出してない。それより、さっきから寝言が聞こえたよ」と言われてしまいました。どうやら、自分が見ていた夢の中で笑っていた声が他人の声として認識されたようです。先程のいびきもそうですが、脳の誤作動が起きているようです。ただ、以前にも書いたように今の私は夢をストーリーとして覚えていることが少なく、ほとんどが断片しか記憶されずに朝を向かえます。そんな状態ですから、この笑い声の原因になった夢も皆目覚えていないのです。

 また、スマホやPCをいじりながら寝落ちすると、ゲームや物書きのつもりでスマホやPCに意味不明な書き込みが残っていたりもします。もっと言えば手には何も持っていないのに、うたた寝の中でゲームをやっていて、必要なタッチを空中にやっているときもあるようです。

 夢と現実の境目を歩んでいるのかなぁ…