fukkatsuのブログ

鬱病治療中の日記です

今日は凪だったけど

 今朝は凪、と言うか、問題のない目覚め。子メダカに餌やりをして人間パワースポットに挨拶しに散歩してきました。

 ただ昨夜11時頃に誘導剤などを服用してから寝たのですが、12時半頃、隣室にいた妻に名前を呼ばれて目覚めました。が、彼女は全くそんな事はしておらず、単なる寝ぼけのようで…。でも、はっきり聞こえたんだよなぁ…。

瞑想を通じて知ったイメージの大切さ

 毎日、瞑想を短くて20分、長いときには1時間ぐらいやっています。その際、呼吸法を取り入れるために「ヨガ講師 ぬん」さんの動画をYoutubeで聞かせて頂いています。(興味があれば、↑のキーワードで検索してみてください)。

 この動画では、呼吸の深さやカウントなども誘導されるのですが、それ以上に「イメージ」が多く使われます。例えば「骨盤底から吸って、背骨を通して頭頂部まで息を送ります」みたいな感じです。あったりまえですが、人間、通常は鼻か口、そして若干の皮膚呼吸ができるだけで、骨盤底が吸気口になり、頭頂部が排気口になることはありません。が、これをイメージとして捉えれば吸い込んだものは「空気」ではなく「気」や「エネルギー」として置き換えれば、とても分かりやすいのです。

 「次は第2チャクラ、丹田から」と言われれば意識は自ずと丹田に集中します。このように身体、場合によっては意識の各所に集中させることが瞑想としての効果を高めているように思えるのですね。

 そして、ヨガでは当たり前に使われるチャクラ。西洋医学的には根拠は薄いのでしょうが、針やマッサージでの「ツボ」を考えれば、たった7箇所のチャクラが重要なツボだと考えれば、覚えやすいし、少なくとも丹田や第三の目、頭頂部の百会などは660あると言われるツボの中でも重要なポイントだと聞いたことがあります。その重要なポイントを呼吸だけで刺激できるのですから、楽なものです。しかも、中には「瞑想をしいていると眠くなります。寝落ちしちゃっても良いんですよ。寝落ちすれば普段よりグッスリ眠れるし、寝落ちしなければ睡眠以上の休息が得られるのが今日の呼吸法です」なんて言うのもありますから、ベッドの上で寝冷えしない体制で横になれればOKなのです。後はイメージをきちんと作れるか、それとも「え、右手の先から息を吸え!?できるわけねぇだろ!」と論理でぶち壊すかの2択です(😁)。

 どうしても人間は、理屈で理解しようとしたがりますが、イメージで共有し実行すると実際に瞑想をした結果、スッキリしますし、単に横になって寝ているのとは違う充足感を得られたりします。精神科の医師からも「呼吸は数少ない自発的に副交感神経を刺激する方法だから良いのよ♪」と言われています。

 ただねぇ…。今、鬱の中で思うのは「もしこの呼吸法や瞑想を健康な時にやっておけば…」と言う後悔ができないのですね。あの頃だったら、そんな時間があれば仕事の事を考え、ドキュメントを書いておきたいし、リラックスしたいならテレビやアマプラでアニメでも見る事を選択するだろうな。と、あの頃に立ち返って思うのです。

 却って今は脳が視覚処理したがらないのか、テレビに全く興味が湧きませんし、仕事も休職しているから良さを実感できている訳です。もし可能なら、瞑想を日常のルーティーンにしながら仕事を再開できれば良いな。と思う今日このごろの私です。

 

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三日ぶりの頓服

 頓服(ソラナックス)をこの二日、服用せずに過ごす事ができました。つまり、結構、快調だったということで、今朝も気分良く散歩を終えています。

 そして午後、このブログを書いたり、別ブログやサイト更新をしようかと外に出たところで、脚が重い。鉛ほどではないですが、鉄の重りをつけた程度に足が前に出ません。そうこうするうちに、徐々に呼吸も荒めになって「ヤバいな」と。

 幸い、近くにあるファミレスに入ったので直ぐに頓服を飲んで、今、落ち着いたところです。

 今日は、殆ど予防的な服用で済みましたが、明らかなきっかけが無い鬱の波は困ったもんです。

 

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少し遅めの朝の散歩

 いきなり、ビロウな話ですが、この三日間、出そうででない。出てもチョロリ。でもガスは出る。と言うモヤモヤしていました。

 それが今日は、かなりスッキリ。但し、早朝散歩を概ね1時間遅らせての出発です。

 日曜日かつ、いつもと違う時間なので、街の風景も少し違います。雨上がりを楽しむ散歩中の犬も初見の皆さんばかり。経由地点の松陰神社も既に社務所が開いています。

 私もスッキリして出かけたので、いつもはスローテンポな音楽を聴きながら歩くのですが、今日は比較的パワフルな音楽を聴き流して歩いています。普段、これをやると自分の呼吸と音楽のテンポが合わなくて、とても疲れてしまうのですが、今日は最後まで(お参り中を除いて)聴き通しの歩き通しができました。

 昨日、そして今日ただいままで頓服は使わずに過ごしています。いつぶり返しの落ち込みが来るかは分かりません。だからこそ、気分の良さそのものを楽しんでます!

 

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鬱を味わう

 昨日、一昨日の大波の鬱。それが一段落した今日になって鬱と言う病気を心の底から味わっている感じがします。

 「鬱はこころの風邪」と言いますが、それは、誰しも罹る可能性があると言う意味で、風邪のように咳が止まり、熱が引いて、そして元通り。になるものではありません。舐めてはいけない、案外大変なものです。服用している薬も中々の数ですし、特に就寝前に飲む薬は、時間を考えて飲まないと、起床時間に関わります。向精神薬があるので心身が活性化されてしまい、中々、二度寝できないんですね。合わせて服用している薬の中には睡眠誘導もあるので、自ずと就寝と起床の時間が決まってきます。嫌な言い方をすれば、薬が自分の睡眠時間を制御しているようなものです。

 そして不思議なのは、起きる直前に見ていた夢が殆ど記憶にないことです。通院開始からの3ヶ月で、朝起きて夢の記憶が残っていたのは三回だけ。ストーリーまで覚えているのは一度だけです。他は、起きた途端に砂絵が吹き飛ぶように変えたいくのです。医師からは、レム睡眠のタイミングと起床のタイミングがずれているだけ。と言われるのですが、確かに今の今まで夢を見ていた記憶、たまに登場人物の顔だけ記憶していても、ストーリーがまるきり記憶されません。

 もしかしたら、鬱になる前、常に仕事の事に没入し、夢の中でもアイデアが浮かべばメモを採る勢いだった反作用なのかもしれませんね。あの頃は、夢が怖かった。そんなアイデアが浮かぶ事よりも、パートナー会社が倒産する、顧客が激怒して電話してくる。そんな夢ばかり見て、その悪夢から「どうしよう」と心配して寝付けなくなって朝を迎えた事が何度もありました。だから、夢が砂絵のように吹き飛ぶ今は、幸せなのかもしれませんね。

 そして、午前は散歩にシャワー。そして瞑想。ただ瞑想の頃には向精神薬の効き目が落ち始め、散歩の疲れとの合わせ技で寝落ちする事もしばしばです。それでも、瞑想をする事で呼吸を味わい、自分を見つめる。最近、イメージしている心の中のペットの青龍を可愛がるような感じで、自分の心を鎮め、そして慰撫する。但し、妙に自分を奮い立たせる事は反動がありそうで、抑制しています。時々あるのですが、今日はアレとコレを片付けて、アソコへ行こう!などと健常な状態の休日のような段取りを考えてしまい、結果、出来なくなって落ち込むところまではいきませんが、自分がダメダメな状態だと強く認識させられてしまう事が。

 先々の事は色々心配です。でも、今を一生懸命にやっていれば光は差す。そう信じて、明日はどんな天気でも散歩に行ってきます!

 

ただのんびりと

 ようやく歌の波が去って、気分が落ち着いた朝でした。ただ雨が予想外に強く、散歩は中止にして、ただのんびりとしています。

 昨日は月例で人事から状況ヒアリングがありましたが、波の最中でもあり、またリワークについて医師と話しても、まだ先のことだからと言う事を伝えて休職を継続する旨で回答しました。そろそろ、経済的に苦しくなりそうです。

 それでも、無理に復職しても、多分間違いなく悪化するでしょうから、究極の選択ではありますが…。

 今は、ただひたすら弱気にならず、足元に気をつけながら前を向いて生きたい。そう思っています。

 

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今日は中波からのスタート

 ここのところ調子が良かったからでしょうか、昨日の大波が未だ後を引いての朝です。ただ、まだ少し頑張れる自分がいたので、中波。時速2㎞の男として雨の中でしたが、傘をさして早朝散歩には出かけました。

 この波が鬱の厄介なところなんでしょうね。最近では、人前でコケたり、メダカが全滅すると言う「きっかけ」があって落ち込む波に呑み込まれていたのに、昨日・今日はキッカケが思い当たりません。

 後ばかりみていても始まらないので、少し頓服の服薬は後ろ倒しにして、午後の診察前まで我慢してみようと思います。落ち込んだ時に出来ることや、我慢できるレベルを知るチャンスですから。

 

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